尻手から205系の列車最後尾に乗る。
最初にすれ違った上り列車は何と209系。2本連続で209系が走っていたのだ。
追いかけてくる209系をどこかで撮ろうと探る。 駅撮りにすると尻手と変わらない感じになってしまうので、迷っているうち、アウトカーブ上にある踏切を発見した。
踏切で待つ
カーブの踏切通過後もう一つ踏切を通ってほどなく着いたのは宿河原駅。これならすぐ行けそうだ。下りてしまえ。
出入り口は下りホーム直結の地上駅舎となっていて、簡単に外に出られた。
駅前の細い道を進むと銭湯があり、その先で駅に近い側の踏切に出る。踏切と反対に進むと遊歩道のある川に出て、川沿いに少し歩くと、お目当ての踏切があった。自動車の通れない踏切のようだ。
205系(久地—宿河原)
着くなりさっそく踏切が鳴いて現れたのはナハ2。このあとに209系0番台ナハ32が来る。
205系(久地—宿河原)
顔はほぼ同じだが、生え抜きのナハ2のほうが車齢が若く、ドア窓は大窓、顔には種別(もしくは路線名)幕が付いている。ナハ39は山手線からの転入車で、ドア窓は小窓、種別幕はない。
209系(久地—宿河原)
ナハ32登場。日が暮れ始めていて光線条件は決してよくないが、撮れてよかった。
205系(久地—宿河原)
生え抜きナハ6。露出のせいで、種別幕があるのがよくわかる画に。
209系(久地—宿河原)
209系連チャンの2本目はナハ52。京浜東北線を退いて転入してきた2200番台で、機器更新が施されている。南武線の209系はこの2200番台が4編成、0番台がさきほどのナハ32で、全5編成。
この列車を以て宿河原駅に戻った。
PC橋で待つ
宿河原駅から再び下り列車に乗る。今度は先頭かぶりつきだ。
矢野口から何だか真新しい高架区間に入った。正直何も知らなかったが、稲城長沼・南多摩は12月に完全高架化されたばかりとのこと。中学生のときに乗った南武線とはまったくイメージが変わっている。
南多摩駅で、コンクリートのアーチ橋がすぐ目の前にあっていい感じだったので、降りてみた。
205系(南多摩)
はぁ、これはもうぜんぜん南武線ではないな。でもいい感じだ。
205系(南多摩)
209系に打順が回るまでまだかかりそうだが…、高架区間走行中に、夕日が西の山に隠れるのを見てしまっている。どんどん暗くなってきた…。
205系(南多摩)
ぴしゃっと捕らえるにはSモード。そしてこうなる。まぁ、宿河原の踏切からすでにSモードで撮っているのだが。
205系(南多摩)
17Fは踏切でも撮ったナハ2。つぎが209系だが、時すでに遅し。
209系(南多摩)
真っ暗。
205系(南多摩)
下り列車は山がいいシルエットになった。
209系(南多摩)
ナハ52ももちろん真っ暗。これはリベンジ必須だな。
さて、これにて撮影は終了し、帰路に就くことにした。浅野・浜川崎・尻手でかなり長いあいだ立っていたので疲れたな。
17:33発川崎行のナハ52を撮るために17:31発立川行を見送らざるを得なかったのだが、何とその次の立川行が17:45という大きな間の部分に当たってしまった。 川崎からの稲城長沼止まりが混じっていたんだろう。
自販機でオニオンスープを買って暖をとりながら、17:45発に乗った際の帰宅ルートを駅すぱあとで調べる。
すると、我が地元のメトロ東西線原木中山駅に出るには、府中本町から武蔵野線南船橋行で西船橋まで出るのが早いと出た。
これにはびっくり。西国分寺で中央線、中野で東西線のほうが早かろうと思ったが、武蔵野旅客線完走ルートのほうが2分早く着く。
運賃としては茅場町から定期がある分も差し引くと中央・東西線のほうがはるかに安上がりなのだが、乗りっぱなしで行けちゃうんならもう武蔵野線でいいや、ということになった。
着席優先で府中本町では何も撮らずに並び、優先席ではない車両の端っこの席を確保。
爆睡しながら進んだ後、うるさい子ども客のせいで目が覚めた新三郷辺りから西船橋までは目をつむりながら完走した。
12番線に着いた西船橋では9番線に「しもうさ号」大宮行が停まっていたが、もうそれも撮らず、東西線にのりかえて帰宅した。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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