毎月RF誌を買っているが、なかなか全てのページに目を通し切れていない。
毎回読んでいなかった連載記事をはじめから読もうとバックナンバーを再び開いていたら、5月号に都電7500形の記事が出ていた。
そういえば、都電のなつかし写真も少しあったな、ということで今回の記事。静態保存の車両も絡めて紹介。
関東唯一の「路面電車」
「都電」は東京都交通局の軌道線「東京都電車」の略称だそうだ。
都電は昭和中期まで山手線エリアとその東側を中心に充実した路線網を展開し、その多くは道路との併用軌道だった。
自動車の普及で交通量が増加すると併用軌道では運行に支障が出始め(信号機の整備・車線の明確化や、自動車の性能、運転技術・マナーも向上した現在とは事情が違った)、地下鉄の登場などにより都電の軌道はどんどん消えていった。
都バスの路線には、かつての都電の系統を継いだようなものも存在している。
現在の荒川線にも一部併用軌道が存在するものの、多くは専用軌道であり、需要もあるため今日(こんにち)まで順調に運行が続いている。運賃は一律160円(小人80円)で、都バス(200円)より安い。
同じチンチン電車タイプとしては東急世田谷線もあるが、あちらは全線専用軌道。併用軌道を走る意味での「路面電車」としては都電が関東唯一の存在だ。
7500形(栄町—王子駅前・1989)
7500形同士のすれ違い。日付がわからないのだが、日章旗がささっているので祝日に撮ったものだろう。
7500形は1962(昭和37)年に登場した車両。先に登場した8000形は都電の廃止を見込んでJR209系ばりに耐用年数の短い設定で造られた経済車だったが、荒川線のような一部存続が見えてきたことから、耐用年数の長い設計で7500形が造られた。数字が遡ったのは8000形のエコノミー感覚を維持しつつ7000形の車体に近づいたことからのようだ。
写真のうち早稲田行の7512号は今年3月13日の7500形ラストランまで残った車両。3月31日付で廃車となった。
7000形(梶原・1991.7.29)
梶原に停車中の7000形。梶原というと、「都電もなか」を扱う和菓子店が有名。ホームの看板を見ると、20年前は運賃が140円だったことがわかる。
7000形は1954(昭和29)年から登場した車両。荒川線に残った後期製造の31両は荒川線のワンマン化に備えて1977(昭和52)年から現在の車体に載せ替える更新工事を受けて大変身した。またこのときに車号を7001-7031に整理したため、新造時とは車号が異なっている。
車体載せ替え時は従来の黄色にワンマン対応を指す青帯の姿だったが、のち現行色に移行している。
7000形は再更新を受け、正面おでこの表示器は「ワンマン」の小窓を廃止し、旧方向幕をその分拡げた形のLED行先表示器1つに変わっている。
7000形(栄町—王子駅前・2010.1.22)(再掲)
7022号は再更新の際に車体載せ替え時の塗色に戻された。ただしいちょうマークは当時はなかったことを付け加えておこう。
7000形(大和田公園・2009.4.19)(mb)
こちらも車体載せ替え時風の塗色で保存されている7011号。一時は黄色が肌色と言えるほど塗色が退色していたが、塗り直された。車号はその塗り直し以前から消えていた。正面方向幕は「荒川車庫」で“前”が入っていない。
車両のうしろにみえる角の丸い建物は都営新宿線の換気塔。大和田公園はその横の敷地にある。千葉県市川市の小さな公園に都電がいるのはこういう縁だ。
7000形(大和田公園・2009.4.19)(mb)
ケイタイのレンズのせいか、2枚目は妙なゆがみを生んでしまった。7000形は車体載せ替え後も非冷房だった。この7011号は冷改を受けずに廃車になり、集電装置もビューゲルのままになっていて意外に貴重な車両。
6000形(飛鳥山公園・1991.7.29)
こちらはすでに退役し飛鳥山公園で保存されている姿の6000形6080号。
6000形は1947(昭和22)年から290両が製造された都電の標準車ともいえる形式。荒川線ではワンマン運転開始まで走っていたが、ワンマン化後は6152号のみ事業用車として残り、のち営業用に復帰。昔の緑とクリームの塗装になってイベント車「一球さん」として使われた。
写真の飛鳥山公園の6080号は、2005(平成17)年に化粧直しが行われ、雨ざらしだった展示位置には上屋も付いた。
7000形(荒川車庫・1993.3.8)
都電唯一の基地である荒川車庫。本線の上り線(三ノ輪橋行)側直角向きにあり、デルタ線の形でつながっている。
最寄りはその名の通り荒川車庫前停留所。上り線のみ降車ホームと乗車ホームが分かれていて、両ホームの間にデルタ線がある。
7000形(荒川区役所前—荒川二丁目・1993.3.8)
この辺りは軌道脇に歩道が沿ったのんびりした区間。2両の7000形をよく見ると、クーラーキセの配置、側面方向幕の位置などに差が見られる。恐らく両者は逆を向いているんだと思う。荒川車庫のデルタ線のせいなんだろう。
大和田公園の非冷房車体を見ると、側面方向幕は両側ともドア間5枚窓の左から2番目の窓の上にあるが、冷改後は片側のみ中央の窓上に移動しているようだ。
7500形(荒川区役所前—荒川二丁目・1993.3.8)
早春の青空の下、7500形が行き交う。
7500形も車体載せ替え車。1984(昭和59)年から冷房付新車体に更新。側面は7000形に似ているが、正面は旧車体のイメージを残したスタイルとなった。顔の上部が後退している7000形に比べて車体が大きく見える。
7504号のみは更新されずに旧車体で残り、「学園号」として朝ラッシュ時の区間運用でほそぼそと現役を続行した。現在その当時の黄色に青帯のスタイルで荒川車庫に隣接した「都電おもいで広場」で静態保存されている。
RF誌の記事によれば、7500形が7000形より先の引退になったのは、7000形が都交通局の財政状況が厳しい時期に新車で置き換えるのを控えて再更新されていて、状態がいいため。財政が落ち着き、7500形は再更新ではなく新車での置き換えということになったようだ。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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