UFOが墜ちる6月6日、ケヨ区で寝ていた201系の最後の編成・ケヨ54+K4に早くもさよならHMが付いたとの情報が入った。
しかし、明らかにシールであり、立派な板のものではないようだ。
公式発表では10日から取付というHM。ということはこれで10日までは動かないのかとも思ったが、日が明けると、早速フツーに営業運転に入ったという。
午前中に動けるので、いつもの地元・二俣新町に来る列車を撮ることにした。
控えめシール
こんどの列車は上りの各停。家から歩いて駅に着いたのはその30分くらい前だった。
ちょうどピカピカのケヨ518の蘇我行が出て行ったところで、いつもの定位置に先客がいないことを祈りつつホームへ上がると、あら、誰もいない。さすがに平日のゲリラでこの駅じゃ、こんなもんか。
E233系(二俣新町)
ケヨ517の快速。上り線蘇我方は防風柵工事用の足場が組まれている。
E233系(二俣新町)
続いてケヨ515の各停。武蔵野線も貨物も通らないこの線路、もうちょっと経つと、一般車はこのE233系のみ、あとは特急で255系とE257系500番台しか来ない場所になってしまう。
E331系は…もう復帰しないでしょ、きっと。
この次が201系。撮影者は横にはいないが、背後には、後から下り列車で現れあいさつもなく立っているYシャツの男が1名。201系が接近すると、無言で真横に現れてしゃがんだ。こういう状況、非常に気持ち悪い。
201系(二俣新町)
なるほど。シールだ。手すりとステップの間に正円で収まっているから、小さい。
201系(二俣新町)
車掌が出てこないので、ちょっと停まる様子。Yシャツ男が私が撮ってる目の前を通ってウザい。KYシャツだ。
201系(二俣新町)
イラストは窓の中のパーツの描写がちょっと凝ってたり。
この列車に乗って、再入場のため一旦市川塩浜へ。走行中にK4編成4両分を歩いて抜けた。
席は8〜9割埋まっているような混み具合の中、ヘッドフォンを付けた音鉄が座席に座りつつ床の点検蓋にマイクを向けていた。ちょっと異様な光景。もっとガラガラでやりたい放題の時がいくらでもあったのに、何で今さらなんだろう?
他人を異様と言いつつ、私も行き止まりとなったクハ200-113の運転台を撮っていた。
201系(市川塩浜—二俣新町)
しゃれた窓割りの裏には配線がびっしり。
市川塩浜で下りて、再入場して下りホームへ回る。戻りも当然二俣新町のいつものアングルで迎える気なので、東京方端っこまで進んだ。
ちょっとして、上りホーム端っこに撮影者登場。…うっかりしてたな。あそこが空いてたなら行ってもよかった。今後またHM付を撮ろうとしても簡単に場所獲れなそうだし。
市川塩浜では何も撮らず、E233系の各停で二俣新町へ戻った。東京方ホーム端は無人。
E233系(二俣新町)
飽きもせずまたここに来てしまったな。
E233系(二俣新町)
このケヨ518は先月26日に配給輸送された、この時点での最新編成。車体も足回りもピカピカで、通過すると「新車臭」が漂う。
E233系(二俣新町)
最初に駅に着いたときと同じ。518が来るとすぐ反対に517が来る。
E233系(二俣新町)
このケヨ515の各停のあとに、201系が快速で通過する。この列車から撮影者は現れず。一人で気ままに撮れるぞ。
201系(二俣新町)
前後でシールの図柄は変わらない。中間のクハにもシールは貼られている。
思うに、「HMは10日から」という発表とも異なることから、このシールは見栄えテスト的なことじゃないかと思う。
いちおう東日本最後の201系稼働編成の引退だから、こんなシールで済ませるとは思えない。10日、もしくは前日の9日あたりに本チャンの板のHMが付くのではと私はにらんでいる。
そうなった場合は、このシール姿のほうが貴重なのかもしれないぞ…。
205系量産先行車(二俣新町)
きょうも出会ったケヨ24。これも205系の最初の車両として重要な編成。どのような終焉になるんだろうか?
E233系(二俣新町)
最後は営業開始1周年のE233系5000番台トップナンバーを撮って終了。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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