流山駅を出て、周囲から駅を眺めてみる。
追う者・追われる者
まずは駅舎。
(流山)
背後に森のある台地を控える流山駅。平屋の駅舎と駅前ロータリーにタクシーが2台だけ待っている風景は、まるで房総半島の単線区間の駅のようで、今にもスカ色の113系が来そうな感じだ。
画面左奥には総武流山電鉄がタクシー事業を展開していたときのガレージがあり、色あせた看板が残っている。
駅の馬橋方に歩道橋があり、台地側に出られるようになっている。駅前から歩道橋に向かうと、歩道橋の先に「いかにもそれらしい曲線」を描いた道が現れる。帰ってから調べたら、やっぱり鉄道の廃線跡だった(写真撮らなかった…)。
1969(昭和44)年に廃止となった万上(まんじょう)線。「マンジョウ本みりん」を醸造するキッコーマン流山工場の引き込み線で、流山駅からスイッチバックする形でカーブを描き、流山街道を渡るとすぐ工場となる、ほんの短いものだ。東葛地域では「しょうゆは野田、みりんは流山」といわれた(キッコーマンのサイトのマンジョウのページより)そうだ。工場は現在も変わらず稼働中。
そんな道を眺めながら歩道橋に上がる。
2000系「なの花」(流山)
青トタンの建物が線路に近接。東側には立派なコンクリート擁壁。なんだか不思議な空間だ。
…近くの踏切が鳴き始めた。「流星」がやって来たようだ。
5000系「流星」(流山)
歩道橋上から入線を撮る。2枚目もまだ停止位置に達していない。
橋を渡りきると、新しい感じの住宅街とその入口のロータリー。下の駅舎前とはまったく違う空間。地図を見ると、このロータリーから延びる道を東へ進むとTXの流山セントラルパーク駅があるようだ。パーク駅のさらに東にある総合運動公園(セントラルパークちゃうんかい!)には非電化時代の流鉄のガソリンカー・キハ31(のち付随車化されてサハ31)が保存されているそうだ。
コンクリート擁壁の上は道路になっていて、駅を見下ろすことができる。
5000系「流星」(流山)
5000系・3代目「流星」は昨年9月に流鉄にやって来た。「流馬」と同じく元西武新101系の2連を転用したもので、これまたデビューまでは時間を要し、東日本大震災当日の3月11日が営業運転開始日だった。デビュー日の午後にいきなり足止めを喰らったわけだ。車号は味気ない、数字のみのプレート式。
5000系「流星」・3000系「若葉」(流山)
「若葉」から予備車の役目も奪ったのは、ほかでもない、「流星」だ。「昔はラッシュのときにおまえを池袋まで連れてったっけなぁ…」なんて「若葉」がつぶやいているのかも?
5000系「流星」(流山)
「おっちゃん、また30分後に来るからさ」と言い残し、「流星」は馬橋へ向けて出て行った。
3000系「若葉」(流山)
モハ3102の屋根周り。馬橋方のパンタ脇のグロベンには「流」の文字が。クーラーのファンは水色。
のぞき見
5000系「流馬」(流山)
この編成だけマトモに撮れないのはシャクだ。
(流山)
駅の西側はすぐ流山街道があり、古くからの街並みが展開している。
この駅の上の道は「流馬」の入る上屋の位置までは行かず、直角に東へ曲がっている。その角の先に現れる建物が流山市役所。あまりにも突然でびっくりした。南側の勝手口みたいなところで、メインの入口は北側のようだ。
車庫の裏に回ってみたくて、市役所の前を過ぎて道を進んでみたものの、なんだか簡単に回れなそうに見える。市役所が開いていれば中を抜けてすぐ行けそうだが。
結局さっきの歩道橋まで戻り、駅をスルーして奥へ進んでみると、ちょうど「流馬」の横顔が見える場所があった。門があるので搬入口なんだろう。
5000系「流馬」(流山)
パステルカラーとそれを締める白帯にブラックフェイス。とてもいい配色だと思う。
3000系「若葉」と部品(流山)
門(写真右下に見切れている)のすぐ横にはクーラーキセや床下機器が。予備パーツだろうか?
5000系「流馬」(流山)
裏側のわずかな隙間から「流馬」の反対側の顔が見えた。これにて流山駅の観察は終了。(つづく)
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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