2011/05/10

11.5.8 流鉄ウォーキング・2

初の流山線乗車を終え、流山駅に降り立った。
縦長の駅構内には留置線と検修庫があり、引退間近の「若葉」は屋外に留置されていた。


お先に失礼・元101系

2番線には「なの花」が留置中。





2000系「なの花」(流山)

1997(平成9)年に入線した2代目「なの花」2連。2000系は「青空」と「なの花」の間に3連の「明星」と2代目「流馬」が入線したが、ともに3連列車の減少で先に引退している。
「なの花」は元西武701系4連が元で、中間モハユニットに両端クハの運転台を移設した編成だ。やはりこの顔には黄色が似合う。
2000系のうち、「青空」「流馬」が801系、「明星」「なの花」が701系ベース。701系の車体は屋根周りが国電風で、雨樋が低いのが801・101系の車体とのわかりやすい違いだ。



2000系「なの花」「青空」(流山)

2番線奥に改札通路があるため、1番線とは停止位置が異なり、ホームも2番線側が馬橋方へ飛び出している。


2000系「青空」・3000毛「若葉」(流山)

「若葉」は「青空」が出発しないと撮れないので、それを待つ。




2000系「青空」(流山)

「青空」が出発。さぁ、「若葉」が見られるぞ。



3000系「若葉」(流山)

3000系・2代目「若葉」。1999(平成11)年7月入線。3000系としては同年3月の2代目「流星」(昨年8月引退)に続くもの。
種車は西武101系(私は「旧101系」なんて表現は使わない)で、4連のうち片方のクハの運転台をモハ偶数車(=パンタなし)に移し3連化している。


3000系「若葉」(流山)

先代も含め、「若葉」とは名ばかりの、西武で活躍したベテラン。3連仕業は昨年1月の改正で消滅していて、その後は予備車としての待機が仕事となった。すっかり落ちぶれていて、緑の彩度が落ちていた。



3000系「若葉」(流山)

西武時代のクハそのもののクハ32。独特な2ケタ形式もこれが最後か?



3000系「若葉」(流山)

流鉄最後(いまのところ)の中間車・モハ3102。



3000系「若葉」(流山)

こちらは「先頭車化改造」のクモハ3002。真横からは撮れない位置にいるので車号も斜め位置から。陰影の出るこのナンバー表記はいい味を出している。



3000系「若葉」(流山)

ところどころ、色味の違う塗料で塗り直している部分がある。
元西武101系の3000系は2本のみの存在だったが、この若葉の引退により形式消滅ということになる。編成両数のあやで、元701・801系より若い元101系が先に消えてしまうわけだ。



5000系「流馬」(流山)

奥の屋根の下には5000系・3代目「流馬」(りゅうま)がいる。流山と馬橋で流馬なんだろうか?
愛称表示は小さくて色の組み合わせも悪く、表面がツヤツヤしているせいで写り込みもあり、遠くからは読めない。

5000系「流馬」は2009(平成21)年6月に流鉄にやって来た。種車は元西武新101系。701・801・101系と違って2連口がある新101系なので、当然その2連口を転用。切り接ぎ改造はなし。
営業運転は昨年1月のダイヤ改正期までお預けとなり、デビューは2010(平成22)年ということになる。



2000系「なの花」(流山)

「なの花」を横目で見つつ、出場。駅員さんは事務室に入っているようなので、改札ブースのトレイにきっぷを置いた。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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