12月4日のJR東日本ダイヤ改正が迫ってきた。
一番大きな話題は東北新幹線の新青森延伸だが、私の身近なところのわかりやすい変化といえば京葉・武蔵野線関連だ。
京葉線では昼間の時間帯に東京—外房線上総一ノ宮の直通列車が新登場。この間総武線快速からの列車は内房線直通に絞られ、両者は蘇我で接続がとられる。新設分の上総一ノ宮発着直通列車は外房線内は各駅停車(記事アップ当初、「外房線内も快速になる」と誤りの記述をしていました。すみません)。
また京葉線からの列車は通らない外房線本千葉駅はホームが15両対応となり、総武線〜内・外房線直通の快速も停まることになった。これにより千葉—君津間の快速は巌根1駅のみの通過となる。
武蔵野線では西浦和からの貨物線を経由した大宮発着列車が定期列車として設定される。府中本町・八王子〜新小平〜北朝霞〜大宮の列車が「むさしの号」、大宮〜武蔵浦和〜西船橋・新習志野・海浜幕張の列車が「しもうさ号」とされ、むさしの号が3.5往復(八王子—大宮3往復、府中本町→大宮1本)、しもうさ号が3往復(大宮—西船橋・新習志野・海浜幕張各1往復)の設定。正直、利用者定着にはまったく足りない本数だと思うのだが…。
「むさしの号」はこれまで臨時設定での「ホリデー快速むさしの号」(休日)・快速「むさしの」(平日)に似た体制だが、前者の後継の八王子発着は新小平—北朝霞間が、後者の後継の府中本町発も北朝霞まで各駅停車となった。
車両はむさしの号・しもうさ号ともケヨ区の205系・209系500番台M編成8連が用いられる。両列車の設定と来春の吉川美南駅新設にあたり新調された205系の方向幕にはむさしの号用の「府中本町」「東所沢」としもうさ号用の「南船橋」のコマも用意されている。しもうさ号大宮発列車は3本とも行先が違うので撮る方は楽しいが、西船橋行は大宮18時3分発、新習志野行は同20時57分発と、走行写真を撮るには厳しい時間帯の設定。海浜幕張行は大宮9時14分発だ。
ホリデーむさしの
過去にも武蔵野線車両で大宮行の列車が臨時ながら運行されていたことがある。国鉄時代には「新幹線リレー号」として府中本町—大宮間を101系1000番台・103系で運行した。
そして今回の写真の列車。1989(平成元)年の撮影なのだが、ネットで調べても同じ列車の画像がひっかからない。
103系「ホリデーむさしの」(大宮・1989)
当時の詳細を憶えていないのだが、ヘッドマーク(素朴)のとおり列車名は「ホリデーむさしの」で、高尾—大宮間の列車。もちろん武蔵野線経由で西国分寺と西浦和で転線するルートだ。中央線・武蔵野線内の停車駅がどうだったかも憶えていない。
103系「ホリデーむさしの」(大宮・1989)
さて、いったいどこへ引き上げたのだろうか? 東大宮かな? どうにせよ、この列車はこの大宮で「回送」を出している姿しか撮っていないのが悲しい。
103系「ホリデーむさしの」(大宮・1989)
こちらは別の日のもの。中線の5番線に入っている。高尾方は武蔵野・京葉線独特の運行番号窓が埋まったクモハ103。ATS-P形の機器を設置するのにクモハはどうしてもスペースがなく、助士側の上方を塞ぐことになったのだ。
中央線快速は国鉄時代にとっくに201系化が完了しているので、このホリデーむさしのはそれに混じって走っていたことになる。方向幕はどうなっていたのか、気になって仕方ない。
ホリデーとりで・おおみや
もう一つ、しもうさ号の前身とも言える列車が「ホリデーとりで」「ホリデーおおみや」だ。ちなみに今は茨城県である取手も、下総国の範囲だ。
103系快速「ホリデーとりで」(大宮・1989)
常磐快速線103系の付属5連を用いたこの列車は、大宮—取手間を武蔵野線経由で走行した。ヘッドマークは差し替えができるようになっていて、それぞれの行先が列車の名前になった。
103系快速「ホリデーとりで」(南浦和・1989)
この列車には実際に大宮から乗って、大宮支線のトンネルもかぶりつきで体験した。ホームの松葉杖はたぶん同じように乗ってきた人間のもので、私と並んで撮っていたと記憶している。もちろん知らない人間だ。何もそこに置かんでも、と思う。
なお、この列車は武蔵野線内でも通過運転を行った。この先は南越谷と三郷くらいしか停まらなかったような気がする。
103系快速「ホリデーおおみや」(武蔵浦和・1990)
大宮行のホリデーおおみやは「臨時」表示。
写真のクハは方向幕・運行番号窓・運転台窓がすべて押さえ金式、ヘッドライトが一ツ目、ドアは201系タイプの押さえ金式という面白い車両。当時の正面の押さえ金類はまだまだ少数で珍しかった。
編成ではクハとクモハ+モハのユニットが冷房装置がAU712+SC24で、モハ+モハユニットはAU75Eという、年寄りの厚化粧的編成。
103系快速「ホリデーとりで」(大宮・1991)
ホリデーとりでは3番線発。京浜東北線103系との競演(セント・ルイス)が見られた。上野—日暮里間ではひねもす顔合わせはしていたが、このようにベッタリ隣りの線路で並ぶのはこの列車ならでは。
103系快速「ホリデーとりで」(大宮・1991)
この年には方向幕にしっかりと専用のコマが用意されていた。
103系快速「ホリデーとりで」(大宮・1991)
どうも私とこの列車の間には「杖」が絡む。白杖を持った方がドアから姿を見せている(撮っているときには気づかなかった)が、私はこの前か後に声をかけられて「列車と私を撮っていただけますか?」と頼まれた。もちろん、この方の持っているカメラでだ。
いまやどんなタイプのカメラだったかも憶えていないが、きちんと撮れているのかは定かでない。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
2010/11/30
2010/11/29
日比谷線 なつかし写真
きのう、東京メトロの綾瀬検車区の一般公開が行われた。以前どこかで見て開催日も目にしていたのだが、すっかり忘れていた。
千代田線以外にもいろいろな路線の車両が集まる所だが、目玉は日比谷線3000系の保存車3001・3002号。長野電鉄での第二の人生も終え、奇跡的にメトロに帰ってきた。
個人的には小さい頃からちょくちょく日比谷線で乗った車両で、車内に入れば「なつかしい〜」と唸るかも知れない。
そんな3000系や営団時代の03系の写真は過去に東武や東急のなつかし写真の記事でも出したが、まだ出ていないものがあるのでこの記事で公開。
マッコウクジラ・3000系
営団地下鉄3000系は1961(昭和36)年に日比谷線用として登場した車両。営団初という項目としてわかりやすいものでは、架線集電・2両ユニット電動車・セミステンレス車体・狭軌台車・他社線乗り入れ対応などがある。
正面は丸いおでこと桟のない優雅なパノラミックウィンドウ、丸ノ内線300〜500形の流れを汲んだ縦列のライトケースなどが特徴。2連で登場した1次車は登場時に連結器カバーも兼ねたスカートを装着していて、アゴが長いような印象だった。車体裾にも丸みのある車体は、同じステンレスの東急初代7000系のアメリカ的武骨さとは一線を画した「和」を感じさせた。
3000系(学芸大学・1990)
ベンチレーターとドアが原形の編成。ベンチレーターは八角形で薄く、直列配置。東西線5000系も当初は同じベンチレーターが使用されていた。写真の当時このスタイルで残っている車両は珍しかった。
原形縦長ドアはHゴム不使用で窓の角Rが小さいもの。銀座線1800形〜2000形、丸ノ内線の鋼製車両(900形後期車を除く)にも同スタイルのものが使われていた。
1966(昭和41)年製の7次車まではこのベンチレーターとドアの組み合わせで新製された。写真の3073Fはその7次車。逆に言うと、はじめから千鳥配置の箱形ベンチレーターと小窓ドアで登場したのは8次車の6連1本と9次車のモハ3500形(8連化用中間車)のみ。
なおこの3073Fは新製時からATOを搭載しており、3035Fとともに長期試験として日比谷線内で実際に自動運転を行っていた。
営団3000系(小菅・1992.1)(再掲)
再掲になるが、こちらが7次車3000形が入るもう1本。薄く大きいベンチレーターが見える。ドアは小窓のものに交換されているようだ。
3000系(南千住・1991)
南千住は高架駅。他社線への乗り入れ接続駅と東西線以外でメトロの明かり区間にある駅は、渋谷(銀座線)、茗荷谷、後楽園(丸ノ内線)、四ツ谷、南千住、北綾瀬、新木場のみだ。
3000系登場時は営団内に「○○系」の系列呼称やラインカラーの概念がなく、3000系という呼称や日比谷線のカラーがシルバーであることやは後付け。もちろん色の由来は3000系の無塗装ステンレスボディだ。
3000系(南千住・1991)
7次車までの多くは更新により箱形ベンチレーター・小窓ドアに変身した。ドアは5000系や銀座線・丸ノ内線車両に更新で用いられたものに似ているが、それらよりも窓の下辺が高い位置にある…つまり窓が小さく、閉鎖的な感じになってしまっている。先の写真の7次車はどん尻ということで手つかずのうちに引退を迎えたと思われる。
生まれてこの方東西線を利用している私の場合、小さい頃の東西線では「きいろ」…国鉄車を歓迎していた。それは立ち席の際にドアからも外を見ることができたから。成長すると5000系のドアの窓からも外が見えるようになったが、同じときに3000系に乗ると、その窓の下辺の高さが実感できたのだ。
3000系(南千住・1991)
南千住を出て独特な雰囲気の高架線をちょっと進むと地下へ潜る。カーブが終わったところからはガーダー橋で、下を隅田川駅への貨物線がぐぐっている。
3000系の運行番号表示器は後付け。元々は「64s」などと書かれた白い札を同じく助士側窓上辺の中央寄り角に差していた。これは綾瀬にいる保存車に再現されている。5000系は運行番号窓付で登場したが、今度は快速表示器が同じ位置に後付けされた。
3000系(東武動物公園・1992.1)
運行区間の北限・東武動物公園駅に到着した3000系。
日比谷線の冷房化は03系の新造を以て進められた。東西線では05系投入と平行して5000系の冷改が進められたが、3000系は一切冷改されることなく順次廃車されていった。日比谷線に投入された3000系・東武2000系・東急初代7000系はどれも構造上冷房化が困難なものだったそう。7000系に関してはVVVF化され7700系となって冷房化が実現したが、日比谷線には入らず支線用となった。
3000系(東武動物公園・1992.1)
転線し上り列車となった73F。新たに付けられたこの編成番号は先頭車の車号と一致しておらず、どういう付け方だったのかわからないが、廃車が進んでいることも絡んでいるだろう。
また、3000系は「下2ケタが若ければ車齢が高い」という法則が途中から崩れている。写真の3059は3060とともに3次車の最後の先頭車、4次車の最初は3029・3030とおかしなことになっている。
3次車までは銀座線や丸ノ内線の車両と同じく、形式をまたいで下2ケタを続番で付けていた(3001〜3028、4029〜4056、3057〜3060、4061〜4064。3000形:制御電動車、4000形:中間電動車)。4次車からは形式をまたいだ続番をやめ、空いていた3029・4001からの付番になったわけだ。
ということで、3000形は3056の次が3061号になった。4000形は4028の後が4057〜4060、4つ飛んで4065〜と複雑になった。
3000系(東武動物公園・1992.1)
3000系は1994(平成6)年に引退。廃車を逃れた車両が長野電鉄に移ったほか、他社の標準軌や偏軌の車両が狭軌の会社に譲渡される際に台車や走行機器のみが利用されている。
一匹狼・03系
営団地下鉄03系は1988(昭和63)年に登場した。老朽化した3000系の置き換えと冷房車配備を兼ねたものだ。なお最初の2本は急遽増備が必要になり用意されたもので、計画より前倒しでの新形式デビューだった。
車体は6000系から続くアルミボディで、正面窓は3000系のイメージを引き継いでパノラミックウィンドウが採用された。ラインカラーはそのままシルバーが採用され、アルミボディにねずみ色の帯が巻かれるというオシャレスタイルになった。茶色の座席モケットなども含め、同時期に登場の東西線用05系と比べると全体的に高級感漂うルックスになっている。
完成予想イラスト(02・03・05系の3形式同時)発表前、小6か中1あたりの私の中では他線と被らないわかりやすい色として茶色のラインカラーになるんじゃないか? なんて勝手に想像していたが、茶色はねずみ色のラインを挟むアクセントカラーで用いられた。
03系(学芸大学・1990)
先頭部は2枚窓線対称の状態に非常扉を入れ込んだような形。運行番号の文字が営団の他線の車両よりも大きいのも特徴。営団時代のSマークは正面のいいアクセントになっていた。
この03系の顔は01系〜08系の中では独立した形態。01系と02系、05系と9000系、06系と07系、05N系と08系という感じに、各系列は姉妹的なデザインのものがあるが、03系だけは被っていないのだ。
03系(東武動物公園・1991)
東武動物公園駅で貨物列車が脇を抜けていく。
03系の制御器は25Fまでが01系と同じ高周波分巻チョッパ制御、以降はVVVFインバータ制御が採用されている。ドアは1,400mmと05系よりも100mm広く、ドア窓の幅は変わらないのか、多少のっぺりして見える。
03系・東武6050系・2000系(東武動物公園・1991)
折り返しの間にいろんな列車が現れる。東武2000系も非冷房でしぶとく頑張っていたが、日比谷線3000系よりひと足先に姿を消した。
03系(春日部・1992.1)
横幅のある方向幕は「東武動物公園」も余裕で表示できる。東武50050系にも見習ってほしかった。
写真は5ドア車を組み込んだ13F。営団はラッシュ対策としてドアの構造に新たな解決策を求めた。東西線にはドアの間口を拡げたワイドドア車、そして日比谷線には数を増やした5ドア車を導入した。
5ドアになったのは8連の両端2両ずつ4両。日比谷線の駅はホーム両端に出入口がある形が多く、その位置の車両が混みやすいからだ。09F〜28Fがこの5ドア編成で登場し、東武も20000系を同構成にした20050系を8本導入した。
当初東武線内では3ドアのみ使用しており、2・4番目のドアは閉切扱いされた。このドアは内張を緑系として、ドア上には「このドアは開きません」表示のランプが設置された。現在は東武線内も5ドアで客扱いを行っている。
03系は1994(平成6)年が最後の新製で全42本。05系はほぼ同じ43本だが、03系より10年も長く増備が続いた上、今年ついに初期車に廃車が出てしまった。03系は中目黒で「アルミってこんなに柔らかいのか!」と驚かされる大きな脱線死傷事故を経験し1両が事故廃車された(この代替車の新造が正味の最終新造。2001年)が、その他は現在も全車健在となっている。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
千代田線以外にもいろいろな路線の車両が集まる所だが、目玉は日比谷線3000系の保存車3001・3002号。長野電鉄での第二の人生も終え、奇跡的にメトロに帰ってきた。
個人的には小さい頃からちょくちょく日比谷線で乗った車両で、車内に入れば「なつかしい〜」と唸るかも知れない。
そんな3000系や営団時代の03系の写真は過去に東武や東急のなつかし写真の記事でも出したが、まだ出ていないものがあるのでこの記事で公開。
マッコウクジラ・3000系
営団地下鉄3000系は1961(昭和36)年に日比谷線用として登場した車両。営団初という項目としてわかりやすいものでは、架線集電・2両ユニット電動車・セミステンレス車体・狭軌台車・他社線乗り入れ対応などがある。
正面は丸いおでこと桟のない優雅なパノラミックウィンドウ、丸ノ内線300〜500形の流れを汲んだ縦列のライトケースなどが特徴。2連で登場した1次車は登場時に連結器カバーも兼ねたスカートを装着していて、アゴが長いような印象だった。車体裾にも丸みのある車体は、同じステンレスの東急初代7000系のアメリカ的武骨さとは一線を画した「和」を感じさせた。
3000系(学芸大学・1990)
ベンチレーターとドアが原形の編成。ベンチレーターは八角形で薄く、直列配置。東西線5000系も当初は同じベンチレーターが使用されていた。写真の当時このスタイルで残っている車両は珍しかった。
原形縦長ドアはHゴム不使用で窓の角Rが小さいもの。銀座線1800形〜2000形、丸ノ内線の鋼製車両(900形後期車を除く)にも同スタイルのものが使われていた。
1966(昭和41)年製の7次車まではこのベンチレーターとドアの組み合わせで新製された。写真の3073Fはその7次車。逆に言うと、はじめから千鳥配置の箱形ベンチレーターと小窓ドアで登場したのは8次車の6連1本と9次車のモハ3500形(8連化用中間車)のみ。
なおこの3073Fは新製時からATOを搭載しており、3035Fとともに長期試験として日比谷線内で実際に自動運転を行っていた。
営団3000系(小菅・1992.1)(再掲)
再掲になるが、こちらが7次車3000形が入るもう1本。薄く大きいベンチレーターが見える。ドアは小窓のものに交換されているようだ。
3000系(南千住・1991)
南千住は高架駅。他社線への乗り入れ接続駅と東西線以外でメトロの明かり区間にある駅は、渋谷(銀座線)、茗荷谷、後楽園(丸ノ内線)、四ツ谷、南千住、北綾瀬、新木場のみだ。
3000系登場時は営団内に「○○系」の系列呼称やラインカラーの概念がなく、3000系という呼称や日比谷線のカラーがシルバーであることやは後付け。もちろん色の由来は3000系の無塗装ステンレスボディだ。
3000系(南千住・1991)
7次車までの多くは更新により箱形ベンチレーター・小窓ドアに変身した。ドアは5000系や銀座線・丸ノ内線車両に更新で用いられたものに似ているが、それらよりも窓の下辺が高い位置にある…つまり窓が小さく、閉鎖的な感じになってしまっている。先の写真の7次車はどん尻ということで手つかずのうちに引退を迎えたと思われる。
生まれてこの方東西線を利用している私の場合、小さい頃の東西線では「きいろ」…国鉄車を歓迎していた。それは立ち席の際にドアからも外を見ることができたから。成長すると5000系のドアの窓からも外が見えるようになったが、同じときに3000系に乗ると、その窓の下辺の高さが実感できたのだ。
3000系(南千住・1991)
南千住を出て独特な雰囲気の高架線をちょっと進むと地下へ潜る。カーブが終わったところからはガーダー橋で、下を隅田川駅への貨物線がぐぐっている。
3000系の運行番号表示器は後付け。元々は「64s」などと書かれた白い札を同じく助士側窓上辺の中央寄り角に差していた。これは綾瀬にいる保存車に再現されている。5000系は運行番号窓付で登場したが、今度は快速表示器が同じ位置に後付けされた。
3000系(東武動物公園・1992.1)
運行区間の北限・東武動物公園駅に到着した3000系。
日比谷線の冷房化は03系の新造を以て進められた。東西線では05系投入と平行して5000系の冷改が進められたが、3000系は一切冷改されることなく順次廃車されていった。日比谷線に投入された3000系・東武2000系・東急初代7000系はどれも構造上冷房化が困難なものだったそう。7000系に関してはVVVF化され7700系となって冷房化が実現したが、日比谷線には入らず支線用となった。
3000系(東武動物公園・1992.1)
転線し上り列車となった73F。新たに付けられたこの編成番号は先頭車の車号と一致しておらず、どういう付け方だったのかわからないが、廃車が進んでいることも絡んでいるだろう。
また、3000系は「下2ケタが若ければ車齢が高い」という法則が途中から崩れている。写真の3059は3060とともに3次車の最後の先頭車、4次車の最初は3029・3030とおかしなことになっている。
3次車までは銀座線や丸ノ内線の車両と同じく、形式をまたいで下2ケタを続番で付けていた(3001〜3028、4029〜4056、3057〜3060、4061〜4064。3000形:制御電動車、4000形:中間電動車)。4次車からは形式をまたいだ続番をやめ、空いていた3029・4001からの付番になったわけだ。
ということで、3000形は3056の次が3061号になった。4000形は4028の後が4057〜4060、4つ飛んで4065〜と複雑になった。
3000系(東武動物公園・1992.1)
3000系は1994(平成6)年に引退。廃車を逃れた車両が長野電鉄に移ったほか、他社の標準軌や偏軌の車両が狭軌の会社に譲渡される際に台車や走行機器のみが利用されている。
一匹狼・03系
営団地下鉄03系は1988(昭和63)年に登場した。老朽化した3000系の置き換えと冷房車配備を兼ねたものだ。なお最初の2本は急遽増備が必要になり用意されたもので、計画より前倒しでの新形式デビューだった。
車体は6000系から続くアルミボディで、正面窓は3000系のイメージを引き継いでパノラミックウィンドウが採用された。ラインカラーはそのままシルバーが採用され、アルミボディにねずみ色の帯が巻かれるというオシャレスタイルになった。茶色の座席モケットなども含め、同時期に登場の東西線用05系と比べると全体的に高級感漂うルックスになっている。
完成予想イラスト(02・03・05系の3形式同時)発表前、小6か中1あたりの私の中では他線と被らないわかりやすい色として茶色のラインカラーになるんじゃないか? なんて勝手に想像していたが、茶色はねずみ色のラインを挟むアクセントカラーで用いられた。
03系(学芸大学・1990)
先頭部は2枚窓線対称の状態に非常扉を入れ込んだような形。運行番号の文字が営団の他線の車両よりも大きいのも特徴。営団時代のSマークは正面のいいアクセントになっていた。
この03系の顔は01系〜08系の中では独立した形態。01系と02系、05系と9000系、06系と07系、05N系と08系という感じに、各系列は姉妹的なデザインのものがあるが、03系だけは被っていないのだ。
03系(東武動物公園・1991)
東武動物公園駅で貨物列車が脇を抜けていく。
03系の制御器は25Fまでが01系と同じ高周波分巻チョッパ制御、以降はVVVFインバータ制御が採用されている。ドアは1,400mmと05系よりも100mm広く、ドア窓の幅は変わらないのか、多少のっぺりして見える。
03系・東武6050系・2000系(東武動物公園・1991)
折り返しの間にいろんな列車が現れる。東武2000系も非冷房でしぶとく頑張っていたが、日比谷線3000系よりひと足先に姿を消した。
03系(春日部・1992.1)
横幅のある方向幕は「東武動物公園」も余裕で表示できる。東武50050系にも見習ってほしかった。
写真は5ドア車を組み込んだ13F。営団はラッシュ対策としてドアの構造に新たな解決策を求めた。東西線にはドアの間口を拡げたワイドドア車、そして日比谷線には数を増やした5ドア車を導入した。
5ドアになったのは8連の両端2両ずつ4両。日比谷線の駅はホーム両端に出入口がある形が多く、その位置の車両が混みやすいからだ。09F〜28Fがこの5ドア編成で登場し、東武も20000系を同構成にした20050系を8本導入した。
当初東武線内では3ドアのみ使用しており、2・4番目のドアは閉切扱いされた。このドアは内張を緑系として、ドア上には「このドアは開きません」表示のランプが設置された。現在は東武線内も5ドアで客扱いを行っている。
03系は1994(平成6)年が最後の新製で全42本。05系はほぼ同じ43本だが、03系より10年も長く増備が続いた上、今年ついに初期車に廃車が出てしまった。03系は中目黒で「アルミってこんなに柔らかいのか!」と驚かされる大きな脱線死傷事故を経験し1両が事故廃車された(この代替車の新造が正味の最終新造。2001年)が、その他は現在も全車健在となっている。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
2010/11/28
10.11.28 江戸川と電車
散歩も兼ねて午後に江戸川端へ。
並び
駐車場に車を停めて、東西線の鉄橋をくぐって深川検車区行徳分室に向かう。この時期になってもバーベキューをやってるグループがいる。
毎年夏の多摩川でバカが騒いでいるのをニュース番組の取材でやっているが、そもそもわざわざ河川敷で煙を立ててバーベキューをする意図が私には理解できない。あと、江ノ島の手前・片瀬海岸の海水浴ね、あんな狭いところにバカみたいな人数が集まっ…(以下自粛)
15000系・05系(深川検車区行徳分室)
15000系が並んで停まっていた。並んでいる姿を撮るのは初めてだ。手前から15000系52F、53F、05系04F。52・53と04の年齢差は21歳。
15000系(深川検車区行徳分室)
1両ずつ形式写真的に撮ってみた。逆光なので暗い。こうして見ると、屋根肩のラインカラーが入っていなかったらかなりブサイクになりそうな感じ。
15000系(深川検車区行徳分室)
15802と15902。車庫脇は背の高いススキ的な雑草が刈られてスッキリした。手前の舗装道路は一見車道っぽいが、車は入って来られない。なぜセンターラインがあるのか不明。
15000系(深川検車区行徳分室)
15002と15003の先頭部サイドビュー。先頭部脇から立ち上がるライトブルーのラインはおでこの脇のところでボディラインから離れているのがわかる。10000系は茶色のライン=ボディラインになっていたので15000系も同じ様子だと思いこんでいたが、そうじゃなかった。やはり05系ペコちゃん寄りの形なのだ。
脇役たち(深川検車区行徳分室)
行徳分室にいるヘンな車。ともに「東西線電機区」の表記がある。
東西線カラーリングのトラックは軌陸車だろうか? イカしてまんな。奇面組的な輪郭の顔を持つ白い車両は屋上のゴンドラがリフトアップされる高所作業車だろう。
15000系(深川検車区行徳分室)
都内の地下で利用している一般客は、こんな牧歌的なところで車両が昼寝していることを知らないだろう。奥にはE231系800番台。あっちに入ることもあるんだな。その隣の05系は「通快 中野」の幕を出している。
渡り
いつものコースで、車庫を眺めたあとは江戸川第二橋りょうを渡る列車を撮る。
07系(妙典—原木中山)
07系ラストナンバー・76F。
15000系(妙典—原木中山)
妙典から鉄橋を渡ると、高架が少々低くなる。
東葉2000系(妙典—原木中山)
鉄橋の奥にはB線の05系ペコちゃんが迫ってきていた。
05系(妙典—原木中山)
工事用の仮の足場、トラスについたはしごや配線…メカニカルな風景。メトロの橋は蛍光感のあるバキバキの水色に塗られる。グレーに近い色まで褪せてきているので、塗装が行われるのかな?
東葉2000系(妙典—原木中山)
15000系(妙典—原木中山)
葉の黄色くなった木と絡めて撮れるかな…と考えていたらすぐ15000系が登場。中途半端になってしまった。
見下ろす
車に戻って場所を移り、江戸川を見下ろす高いところに上がった。
横須賀・総武快速線E217系(小岩—市川)
Nゲージ的。
京成3400形(江戸川—国府台)
こんもりした紅葉を絡める。
都営5300形(国府台—市川真間)
京成本線国府台駅の高架から地上へ下りる5300形下り列車。
京成3000形(国府台—市川真間)
成田方車端のカーテンが降りている様はまるでトイレ付車両のようだ。
京成3000形(江戸川—国府台)
江戸川駅と国府台駅の間は鉄橋のみ。京成押上線八広—四ツ木間、東急田園都市線二子玉川—二子新地間、小田急小田原線和泉多摩川—登戸間など、関東の大手私鉄によくある光景。
E259系特急「成田エクスプレス」(小岩—市川)
赤屋根の新N'EXはぜひ上から見てみたい車両。
中央・総武緩行線E231系(小岩—市川)
この辺りは総武緩行、総武快速、国道14号市川橋、京成本線、北総線と、トラス橋がたくさん架かっている。
中央・総武緩行線E231系(市川)
最後についで撮りをしておしまい。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
並び
駐車場に車を停めて、東西線の鉄橋をくぐって深川検車区行徳分室に向かう。この時期になってもバーベキューをやってるグループがいる。
毎年夏の多摩川でバカが騒いでいるのをニュース番組の取材でやっているが、そもそもわざわざ河川敷で煙を立ててバーベキューをする意図が私には理解できない。あと、江ノ島の手前・片瀬海岸の海水浴ね、あんな狭いところにバカみたいな人数が集まっ…(以下自粛)
15000系・05系(深川検車区行徳分室)
15000系が並んで停まっていた。並んでいる姿を撮るのは初めてだ。手前から15000系52F、53F、05系04F。52・53と04の年齢差は21歳。
15000系(深川検車区行徳分室)
1両ずつ形式写真的に撮ってみた。逆光なので暗い。こうして見ると、屋根肩のラインカラーが入っていなかったらかなりブサイクになりそうな感じ。
15000系(深川検車区行徳分室)
15802と15902。車庫脇は背の高いススキ的な雑草が刈られてスッキリした。手前の舗装道路は一見車道っぽいが、車は入って来られない。なぜセンターラインがあるのか不明。
15000系(深川検車区行徳分室)
15002と15003の先頭部サイドビュー。先頭部脇から立ち上がるライトブルーのラインはおでこの脇のところでボディラインから離れているのがわかる。10000系は茶色のライン=ボディラインになっていたので15000系も同じ様子だと思いこんでいたが、そうじゃなかった。やはり05系ペコちゃん寄りの形なのだ。
脇役たち(深川検車区行徳分室)
行徳分室にいるヘンな車。ともに「東西線電機区」の表記がある。
東西線カラーリングのトラックは軌陸車だろうか? イカしてまんな。奇面組的な輪郭の顔を持つ白い車両は屋上のゴンドラがリフトアップされる高所作業車だろう。
15000系(深川検車区行徳分室)
都内の地下で利用している一般客は、こんな牧歌的なところで車両が昼寝していることを知らないだろう。奥にはE231系800番台。あっちに入ることもあるんだな。その隣の05系は「通快 中野」の幕を出している。
渡り
いつものコースで、車庫を眺めたあとは江戸川第二橋りょうを渡る列車を撮る。
07系(妙典—原木中山)
07系ラストナンバー・76F。
15000系(妙典—原木中山)
妙典から鉄橋を渡ると、高架が少々低くなる。
東葉2000系(妙典—原木中山)
鉄橋の奥にはB線の05系ペコちゃんが迫ってきていた。
05系(妙典—原木中山)
工事用の仮の足場、トラスについたはしごや配線…メカニカルな風景。メトロの橋は蛍光感のあるバキバキの水色に塗られる。グレーに近い色まで褪せてきているので、塗装が行われるのかな?
東葉2000系(妙典—原木中山)
15000系(妙典—原木中山)
葉の黄色くなった木と絡めて撮れるかな…と考えていたらすぐ15000系が登場。中途半端になってしまった。
見下ろす
車に戻って場所を移り、江戸川を見下ろす高いところに上がった。
横須賀・総武快速線E217系(小岩—市川)
Nゲージ的。
京成3400形(江戸川—国府台)
こんもりした紅葉を絡める。
都営5300形(国府台—市川真間)
京成本線国府台駅の高架から地上へ下りる5300形下り列車。
京成3000形(国府台—市川真間)
成田方車端のカーテンが降りている様はまるでトイレ付車両のようだ。
京成3000形(江戸川—国府台)
江戸川駅と国府台駅の間は鉄橋のみ。京成押上線八広—四ツ木間、東急田園都市線二子玉川—二子新地間、小田急小田原線和泉多摩川—登戸間など、関東の大手私鉄によくある光景。
E259系特急「成田エクスプレス」(小岩—市川)
赤屋根の新N'EXはぜひ上から見てみたい車両。
中央・総武緩行線E231系(小岩—市川)
この辺りは総武緩行、総武快速、国道14号市川橋、京成本線、北総線と、トラス橋がたくさん架かっている。
中央・総武緩行線E231系(市川)
最後についで撮りをしておしまい。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)