東海道線・東京口といえば「踊り子」号185系の存在を忘れちゃいけない。
185系特急「踊り子」(東京・1987.11.8)(d)
185系は183系特急「あまぎ」と153系急行「伊豆」を統合し特急「踊り子」として運行するために生まれた車両。斬新な緑の3本ラインが斜めに入る姿はとても国鉄の車両には思えず、登場時は大きな話題となった。
これまた初めて列車写真を撮った日のものだ。まだJNRロゴが残っている。停まっているのは当時の12番線で、手前は中線の11番線。
185系特急「踊り子」(品川・1988)(d)
185系は形式の10位が8なので特急形ではあるが、ドアは広幅で1両に2カ所、窓は固定ではなく一段下降の開閉式、普通車の座席はリクライニングしない転換クロスシートと、むしろ急行形でいいレベルの車両となった。これは普通列車での使用も想定されているため。正面も先に登場している117系にそっくりな顔で、屋根回りやモハユニットのパンタの位置、車体断面など共通点も多い。
185系特急「踊り子」(田町・1989)
踊り子用0番台はグリーン車2両入りの10連と付属用5連が用意され、最大15連での運転。5連口は熱海で分割併合を行い、三島から伊豆箱根鉄道駿豆線へ乗り入れて修善寺まで入る列車がある。
185系特急「踊り子」(品川・1989)
伊豆特急「踊り子」の列車愛称は無論、川端康成の小説『伊豆の踊子』から来ているわけだが、この特急の登場後、小説のほうを「伊豆の踊り子」と誤記する人が激増した。
185系特急「踊り子」(東京・1991)
この記事最初の写真の位置には東北・上越新幹線用ホームが新設され、10番線からの風景はガラっと変わってしまった。
185系特急「踊り子」(東京・1987.11.8)(d)
再び87年に戻る。こちらは3本ラインではなく、シンプルな横帯1本の200番台車7連口。
200番台車は東北・高崎・上越方面列車用に造られたもので、寒冷地対策が施されている。最初の活躍の舞台は「新幹線リレー号」。これは東北新幹線が1982(昭和57)年に大宮—盛岡間で最初の開業を迎えたため、上野—大宮間に運転された連絡列車だ。
東北新幹線が上野まで延伸すると200番台車は本来の特急列車へ進出し、一部は踊り子用に東海道線に転出した。東北系の200番台各列車の愛称には「新特急」という枕詞がつけられた。
200番台にはもともと高崎線方面からの「モントレー踊り子」号用にヘッドマークが備えられていて、L特急マークの部分が「M」に打ち変えられているのが特徴。写真の列車は見ての通り東京発の踊り子だが、そのマークがそのまま使われている。
185系特急「モントレー踊り子」(五反田・1989)
山手貨物線を北上する「モントレー踊り子」。伊豆急下田と両毛線前橋までの往復だ。
185系特急「踊り子」(田町・1989)
転属の200番台車は塗色変更を受け、0番台車と同じ3本ストライプになった。ただ、編成は変わっておらず、ヘッドマーク下部の通風口のフタ(0番台はなし)などで識別は簡単。
185系特急「モントレー踊り子」(大宮・1990)
M踊り子マークを掲げて前橋から大宮へやってきた「モントレー踊り子」。現在も大宮からの列車があるが、251系が入ることが多いようだ。
185系「湘南ライナー」(品川・1989)
別料金が必要な通勤ライナーの代表格・「湘南ライナー」。
湘南の名の通り遠距離利用者向けで、横浜・川崎を通過するのが特徴。
185系(新橋・1992.5.11)
普通列車での使用も考慮された185系だが、実際に普通列車に入るのはごくわずか。「普通」と書かれたその姿はフツーではない。現在は朝の伊東行1本に入っているようだ。
185系特急「踊り子」・「快速アクティー」(大船・1992.5.11)
こちらは200番台の踊り子と並んだ0番台の快速アクティー。このように、当初の構想通りの列車も運転された。
現在の185系は200番台も含め全車リニューアルされ、普通車のシートもリクライニング化されてレベルアップしている。
183系「湘南新宿ライナー」(新宿・1988)(d)
湘南ライナーの新宿発着列車はこんな車両が担当したことも。あずさ用グレードアップ編成だ。列車は名前のとおり湘南新宿ラインのはしりともいえる。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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