2009/11/25

山手線 なつかし写真・1

山手線は都心の環状線で、重要なポジションを占める。
路線上には郊外へ延びる各私鉄のターミナルが設けられ、現在のように山手線内側の地下鉄網が発達する前の通勤ラッシュは壮絶だったろう。
他線との接続がないのは、新大久保、目白、鶯谷(京浜東北線は並行)の3駅だけ。

正味の山手線は品川—渋谷—田端間。田端—上野—東京間は東北本線、東京—新橋—品川間は東海道本線の所属となり、両区間は京浜東北線が並行している。
また、品川から駒込の先までは山手貨物線が並行。山手線の複線のみがシンプルに走るのは、駒込—田端の駅間のうちのほんのわずかな部分だけだ。

重要な路線である山手線には、中央線に続いて新性能車・101系が投入された。オレンジの中央線に対して山手線101系はカナリアとなったが、のちにより駅間が短い路線に適した103系が開発され、ウグイス色を纏った姿で山手線に初投入された。
101系は総武線に転属となり、カナリア色は現在まで総武線のラインカラーとなっている。また、現在埼京線の一部となった池袋—赤羽間の赤羽線にもカナリアの101系が移ったのち、埼京線化までカナリアの103系8連→10連が使用されていた。

103系はのちに冷房車、ATC車と発展したのち国鉄初のステンレス通勤形として登場した205系と交代。
その205系も今は山手線から撤退し現在のE231系500番台に置き換えられたが、早くも次の世代となるE235系?の計画が進んでいるようだ。


103系(東京・1987.11.8)(d)


103系(神田・1988)

103系が最初に投入された山手線。駆け抜けた103系のバリエーションはさまざまだが、これは山手線での活躍末期の姿。
クハはATC機器設置のため運転台後部の戸袋窓が消え、運転台は高くなり窓も細くなった。窓がなくなった分のスペースののっぺり感を和らげるためにステンレス帯が付けられた。
方向幕・運行番号窓は屋根に近づいたためか低運転台車よりも中央に寄った。


103系さよならHM(原宿・1988.6.25)(再掲)

103系はこの翌日を以て引退。こんな写真しか撮れてないのが残念。



103系「テックトレイン」(東京・1990)

103系が引退してから2年半後、このテックトレインは205系ばかりとなった山手線を走った臨時列車。
当時東京では埼京線にウグイスの103系が残っていて、それをベースにしたもの。写真を見る限り、クハだけATC車で中間8両は非ユニット窓の車齢の高い車両で組んだキセル編成だと思われる(調べたら、テックトレインのクハは京浜東北線、中間車は埼京線からだそう)。


205系(高田馬場・1988.6.25)

205系も山手線が初投入の系列。10連4本が量産先行車として登場。側窓は二段窓、運行番号は幕式で登場。
となりの103系は高田馬場は通過する埼京線の車両。


205系(品川・1989)

量産先行車は側窓が2段窓で登場したが、量産車は一段下降窓で登場した。
また、運行番号はマグサイン式となったが、小さかったり暗かったりで視認性はよくなかった。


205系(原宿・1989)

品川行の内回り。品川には京急高架沿いに旧・品川電車区の電留線がある。



205系(田町・1989)


205系(田町・1989.8)

田町での205系。3枚目は23日に訪れたのと同じ場所からの写真。今のコンデジよりズームが利かなかったのだが、手前に邪魔な箱は写り込んでおらず、まだなかったようだ。


205系(田町・1990)



205系(五反田・1989)

五反田を後にする外回り列車。左は山手貨物線。山手線は常に別線が寄り添っている。



205系(代々木・1989)

新宿を出た山手線は体をくねらせながら中央緩行線下り線をくぐって代々木に進入する。右に見えるホームは中央緩行線下りホームで、手前側では山手線内回りと同じレベルの島式ホームとなりホーム上でのりかえが可能。


205系(東京・1990)



205系(御徒町・1990.5.6)

(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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