山手線なつかし写真のつづき。
205系「ADトレイン」(鶯谷・1989)
205系「ADトレイン」(代々木・1990)
205系「ADトレイン」(池袋・1990)
205系「ADトレイン」(御徒町・1990.5.6)
ADトレインは東京圏各線区に登場した、1編成を1社の広告(AD:アド)で埋め尽くした列車。山手線から広まった。
205系「ポスター電車」(品川・1990)
こちらも東京圏各線区に現れた「ポスター電車」。詳細は憶えていないが、観光系の広告車のようだ。
205系(代々木・1990)
1990(平成2)年3月、通勤ラッシュ対策として6ドア車・サハ204-901と902が試作車として登場。この編成の2・9号車に挿入された。
平日朝ラッシュ時には座席を挿入しオールスタンディングとなる終戦後のような車両。車両の中央にあるスタンションポールも旧国風だ。
205系(神田・1991)
6ドア車はJR初のテレビ付通勤形車となり、ヘッドマークにTV付をPRする文字が追加された。文字はいささか苦しい配置。
205系(代々木・1991.12.1)
山手線は10連から11連へ増結することになり、この日から11連列車が走り始めた。増結は6ドア車サハ204量産車の挿入で行った。
ADトレインの写真と同位置だが、11連対応でホームが再整備(屋根の延長、再舗装)されているのがわかる。
205系(代々木・1991.12.1)
11連化は一週間ほどかけて進められ、徐々に「11CARS」のステッカーが増えていった。ちなみに武蔵野線の一部8連化時にも同じデザインのステッカーが用いられた。
205系(代々木・1991.12.1)
同じく11連デビュー日の写真。正面窓のフレームの色が落ちているヤテ43編成と、京浜東北線から貸し出されたヤテ35編成で、ともに10連。
後者は11連化のために編成が不足するための一時的な助っ人。側窓が一段下降窓ながら運行番号が幕式であることや、方向幕となりに種別幕があるのがポイント。見えていないが、ドア窓も天地が大きいサイズのものだ。京浜東北線に復帰後、同線の205系では最後1本となったあと、現在は埼京線で活躍しているそう。
205系(原宿・1991.12.1)
量産先行車は現在は10連に戻って京葉線で活躍中だが、京葉線にもE233系投入が発表され、その去就が注目されている。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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