2009/09/26

京成 Airport Express

過去の記事のとおり、シルバーウィークに京成の新スカイライナー・AE形を追っかけた。
…ということで、今回の記事は京成で唯一やってなかったAE系のなつかし写真をアップ。


初代AE形

京成が成田空港へのアクセス特急として初代AE形6連5本を登場させたのは1972(昭和47)年のこと(竣工日は2月7日)。
独特な形式名は“Airport Express”から。開運号1600形を思わせるクリームと茶色のカラーリングの車両は、下ぶくれの車体断面、固定窓、冷房、界磁チョッパ制御など京成ではどれも初めての装備。同じく革命的な初のステンレスカー・3500形は同年の12月の登場で、登場時のAEは赤電・青電が走り回る京成線内で飛び抜けた存在だった。

当初成田空港はその年の10月に開港予定だったが、反対の動きなどいろいろあって目処が立たず、AE形は1973(昭和48)年12月末に上野—成田間の特急列車としてようやく使用を開始。2年弱の間営業列車として使われることなく待っていたわけだ。
「スカイライナー」の愛称はその当時からだが、ヘッドサインははじめは「特急」という漢字2文字が書かれたものだった。

1978年5月20日にようやく成田空港が開港。念願の空港特急としての活躍が始まった。
1983(昭和58)年から塗色変更が順次施され、国鉄特急のようなシンプルな塗装はトリコロールの派手なものに変わった。私が小3の頃だったが、変更当時の沿線住民の評判は芳しくなかったと記憶している。これが京成の赤青塗装の始まりで、のち2代目3000形まで受け継がれることになる。



初代AE形(1989・東中山)

旧成田空港駅(現・東成田駅)終着時代は6連で運行。運転台の銀色の日よけと車号表記はデビュー当時はなかった。
車号は6連ながら将来の10連化を想定した付番になっていて、上野方から10-9-8-3-2-1という番号がついている。


初代AE形(1989・京成西船—海神)



初代AE形(1989・海神—京成船橋)

高架化前の京成船橋付近を行く。
初代AE形は運用番号をカードで表示。せっかくの前面デザインの中、ちょっと目立ちすぎにも思える。


3150形・初代AE形(1990・東中山)

4番線にいるのは3300形未更新車かな?


1991(平成3)年3月に現在の成田空港駅が開業することになった。これは成田新幹線用に準備された路盤を活かしたもので、JRもこのときから成田エクスプレスをひっさげて空港輸送に参加。高規格の複線の路盤に標準軌と狭軌の単線並列という不思議なスタイルができあがった。
それまでの成田空港駅(→東成田)は空港ターミナルから離れていた。連絡バスでの移動を余儀なくされ、それがスカイライナー利用者を呼び込むための障害にもなっていた。
ターミナル直結による利用者増を見込み、前年に新形式のAE100形が8連で新製され、初代AE形も一部中間車化改造をしつつ8連5本に組み替えられ、余りの先頭車2両が残念ながら廃車になった。


初代AE形(1991・京成高砂)

雨の高砂を上野へ向かって通過する。


初代AE形(1991.12.23・京成西船)


初代AE形(1992.2.2・船橋競馬場)

前日の大雪を屋根にも載せて走る。
こうしていろいろな写真を見ていると、初代AEの先頭車の連結器は「横チン」になっていることが多いのがわかる。

AE100形の増備が進み、1992(平成4)年7月には初代AEはAE-70F1本だけとなってしまった。この1本もAE100形の予備車にすぎなかった。
引退した初代AEは順次3400形に姿を変えていき、書類上はいまも現役だ。




初代AE形(1993.4.2・東中山)

写真の93年4月ごろはAE100形の入場中の代走として久々に活躍したが、それが最後となった。3枚目の写真は4番線で3400形が待避している。初代AEとそのなれの果てである3400形が同時に活躍したのは、この代走の頃だけなんだそう。



初代AE形(1993.4.2・宗吾参道)

同日の宗吾参道での風景。回送のAE100形が待避している。


初代AE形さよなら運転(1993.6.27・京成臼井)


3400形(1993.6.27・京成臼井)

初代AE形は1993年6月27日のさよなら運転をもって引退。特製ヘッドサインとモールでの飾り付けが施された。
3400形は見ての通り同じ場所でさよなら運転列車の前に撮ったもの。初代AEと顔を並べた写真は残念ながら撮れていない。



初代AE形さよなら運転・回送(1993.6.27・谷津)

さよなら運転の客扱い区間は京成上野→東成田→宗吾参道で、谷津での写真は一旦の入庫後に高砂に向かったものだと思われるが、詳細は憶えていない。


AE100形

AE100形は前述のとおり現・成田空港駅開業に備えて8連で登場したスカイライナー用車両。京成初のVVVF&8連固定で新製された形式となった。
車体はハト胸だった初代AEから変化した先頭形状と側面の連続窓がスピード感を演出するが、反面特急車としては不自然な部分もある。それは正面の非常扉とすそ絞りのない車体断面で、これは成田と羽田の両空港を結ぶために都営浅草線・京急への乗り入れを想定したもの。しかし、現在までその想定は現実化せず、成田空港—羽田空港直通列車そのものもわずかな本数しか運転されていない。


AE100形(1990.7・京成西船)

デビュー間もない頃のAE100形。現在もほぼ外観の変化はないまま推移しているが、過去の記事に書いた通り、当時の京成は日中ヘッドライトを点けていなかったため、ヘッドライトを露出したAE100形の昼の姿はなかなか見られなかった。


AE100形(1991・京成高砂)


AE100形(1992.5.3・京成関屋)


AE100形(1993.3.3・東中山)

うーん…、ライト以外今と変わんないな。

来年成田新高速鉄道が開通すると、AE100形にも何らかの変化が起きるかも知れない。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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