3日連続で撮影に出かける。
家で昼を済ませてから出てきたので時間は14時台。チャリで東中山に降り立つ。
きょうは北総の車両を撮って、高架から新京成のくぬぎ山基地を覗いて800形が働きに出てないかも確認しよう…などと考え、京成高砂を目指して出発。
前日に続いて快速接続なしの普通列車の最後尾車両に乗る。そして市川真間に着いた瞬間、とっさに列車を降りた。
AE形(市川真間)
前日あんなに待ったのに、こんどはまったく情報を得ないで最初に乗った列車でAEに出会った。あのおばさんの運をもらったか?
上り普通列車の車内からだと一見背後の建物に溶け込んでて見過ごしかけた。
私が列車を降りてからほどなくしてAEは動き出した。たまたま最後尾に乗ってきたのがラッキーで、上りホーム端から撮影。
AE形(市川真間)
編成は撮れなかったが、顔をほぼ真正面から見るアングルになって面白い画になった。
北総はヤメにして、AEを追いかけることにした。また途中駅で待避をすることを祈って。
直後に来た普通列車に乗り込む。東中山にはさすがにAEはおらず、4番線に入った。ここで3番線に来た快速にのりかえ。
船橋競馬場や京成津田沼にもおらず、八千代台でようやく追いついた。ここでしばしAEを眺めて回る。
AE形(八千代台)
さっきの快速の5分後の特急が到着。これで移動し、AEを勝田台で迎えることにした。
AE100形(勝田台)
つゆはらい的に先輩AE100がやって来た。当然、後釜とは八千代台で一瞬の並びがあったわけだ。
連写モードで撮ったものの、カメラを動かしてしまいあまりいいのが撮れず。
AE形(勝田台)
AEはAE100形のあと他の列車をはさまずにやって来た。
屋根の中を進むのできのうの写真より先頭のおでこのLEDの黄色(急行灯?)が映えた。こういうメカニカルな風景が似合う車両だ。
成田や宗吾まで追いかけたりはせず、京成津田沼まで戻り、新京成にのりかえ。松戸行は千葉線からのN800形。
撮ってはいたものの、乗るのは初めて(逆に今回は撮っていない)。8900形に続いて、しっかり新京成伝統のミラーが車内についている。
私が会いたい8502Fとすれちがいでもすれば降りるつもりで、新鎌ヶ谷を目指す。
んが、結局8502に会うことなく着いてしまった。
日が傾く中、島式ホームになった新鎌ヶ谷の北初富寄りで先客の方と話しながら数本の列車を撮る。
…しかし、どうも私の連写モードのカンがこの日は狂ってるらしく、列車が近づいたシャッターでは車両が見切れるパターンばかりだ。
新京成8900形(新鎌ヶ谷)
新京成8800形・先頭車化改造車(新鎌ヶ谷)
新京成8000形・VVVF化改造車(新鎌ヶ谷)
新京成8900形(新鎌ヶ谷)
8900形は京成直通1本を挟んで続けてやってきた。こういうこともあるんだな。
この2本目のほうは8918Fで、前々日にくぬぎ山車両基地で見かけた「ドアが何か白く汚れている」編成。
先客の方が「もうすぐ8000形の千葉直通ラッピング車が来るはず」というので、それを撮ったら北総へ移ることにした。
新京成8000形「M to Chiba」(新鎌ヶ谷)
やっぱり連写モードの感覚がダメダメ…。おかしいなぁ。載せているのは遠い写真のトリミングだ。
ここで北総にのりかえ。でも、1時間に3本で20分ヘッドの北総は接続もクソもなく…。せめてあと1本増やして15分ヘッドになるといいのに。
新鎌ヶ谷と東松戸は開業時の島式1面から島式2面4線に変わった。スカイライナー運転に備えたものだ。
北総7000形(新鎌ヶ谷・1995.3.7)
北総7500形(新鎌ヶ谷)
新鎌ヶ谷は開業当時から「ノーメイク」の上りホームが作ってあった。7000形の写真はその未使用のホーム側を留置線として使っていた頃のもの。
現在は4線分を覆う鉄骨も現れて別の駅の様相になった。この状態になってから訪れたのは初めてで、だいぶ印象が変わってたのに驚いた。
7500形に乗る。高砂まで一気に出ようかとも思ったが、同じ4線化をした東松戸で一旦降りることにした。
北総9100形(東松戸)
公団9100形(矢切・1995.3.7)
9100形のおでこの表示装置は天地幅がないため文字は大きくできず、運用番号・種別・行き先・方面書きはすべて同じ色。利用者に失礼なレベルだ。
矢切での写真は試運転の際に外側線で待機していたときのもので、上と同じ9108F。いまと違うのは所属会社くらいか?
都営5000形(東松戸・1993.4.6)
東松戸は武蔵野線との交点にある駅だが、1991(平成3)年の開業時は北総の単独駅。私は当時武蔵野線で通学する高校生で、武蔵野線に駅を作る気配すらないことが不思議でならなかった。
築堤の武蔵野線をまたぐ北総の駅は高く立派だが、駅の周りにはなにもなく、ホームはいつも閑古鳥が鳴いていた。…ま、現在は階段位置の案内としてホントに閑古鳥の鳴き声がしているのだが。
都営5000形の左側に見えるのが現在の上りホームのスペース。当時の日中は6連の都営5000形と京急1000形ばっかり走っていたような記憶がある。
現在のホームはよく見ると端の柵から先が余っていて、柵の内側でも8両編成ピッタリ以上の有効長を持っている。どう見ても18m車10連が停められる長さで作ってあるのだ。これは新鎌ヶ谷も同様だが、きっとこの10両分の長さが活きる日はこないと思うのは私だけか?
新鎌ヶ谷はのちに新京成、後れて東武野田線、東松戸も武蔵野線が新たに駅を設け、一帯の鉄道コネクションは進化を遂げた。
だいぶ日が暮れてきてしまい、下りの9100形を撮っただけで東松戸から撤収。京急新1000形の車端クロスシートに座り、京成高砂へ出た。遮光ガラスが外をなおさら暗く見せる。
高砂ではやはり金町線に目が行くが、きのうに続いてファイアーオレンジが日中の1列車閉じこめ運用に入っていた。
3300形(京成高砂)
この列車はその1列車閉じこめを解くべく出庫してきた18時発の列車。3300形は4連8本。うち3本がリバイバルカラーとなったので、グレーも5本に減ったわけだ。
下り成田方先頭に立ってしばらく定点観測。本線も日中に見られない佐倉行普通や快特も現れる。
3000形(京成高砂)
3700形(京成高砂)
京急1500形(京成高砂)
3300形青電(京成高砂)
青電はなかなか会えずにいたが、久々に会えたのがこの手ブレ。ガッカリだ。(ま、ノンフラッシュなので他の写真もですけどねぇ)なんだか7月に撮ったあとずっと会えてなかった気もする。
B53を表示しているので千葉線で走っていたようだ。
なおこの瞬間、4番線には金町行ファイアーオレンジが居たが、並びと言える代物ではないな。
結局30分もいた高砂を後にして、快速で東中山へ還ると、1番線に上野行赤電がいるじゃないか。
3300形赤電(東中山)
こちらはB55。赤青で千葉線とは…。2つの運用は京成千葉・千葉中央あたりでの並びもしくはすれ違いになる模様。
青電は撮った数が少ないので、もうちょっと昼の姿を撮っておきたい編成だ。
初めて「1日でリバイバル3色を見た」日になった。ファイアーオレンジは前日にたっぷり見たのでこの日は撮っていない。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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