姫路城を堪能し、15時過ぎに遅めの昼食を済ませた。
姫路城は有料エリアだけでもかなり広く、アップダウンも相当あり、体は疲れがでてきている。
宿にチェックインして荷物を軽くすることを考えたが、きょうのうちに回っておきたい場所がある。
チェックイン作業や部屋に入ってごちゃごちゃ…といううちに時間がつぶれてしまうのでね。
遺構へ行こう!
姫路駅前から宿とは反対の西へ向かうと、こんな建物がある。
(姫路—大将軍)※廃線ですが、位置は当時の駅名で表示します
右奥に見える高架線は山電本線。山陽姫路駅に着く直前、右側車窓にこの建物群が見えたのだった。
長屋の店舗の上から生えているのは、姫路市営モノレールの橋脚だ。
この上にコンクリート軌道を渡し、モノレールが通っていたのだ。
ネットの受け売りをまとめると…
姫路市営モノレールは1966(昭和41)年に姫路—手柄山間のわずか3駅・1.6kmの路線として開業した。
もともと都市公園として整備されていた手柄山で『姫路博覧会』が催されるのに合わせて建設されたが、2ヶ月間の博覧会開催期間の半ば過ぎにようやく開業した。
一番活躍できた「会場への脚」としての力を発揮した期間は短かったが、その間は乗車まで数時間待ちの大盛況だったそうだ。
姫路市内の環状線や、手柄山から飾磨方面への延長、将来は鳥取県までブチ抜こうなど、実現の可能性はさまざまながら構想はいろいろあったようだ。
博覧会が終わると手柄山は都市公園に戻った。さまざまな文化・スポーツ施設もあるが、山電の姫路—手柄間運賃が20〜30円の時代に姫路—手柄山間100円という運賃では、手柄山に行くのにわざわざモノレールを選ぶ人は少なかった。
同年開業の小田急の向ヶ丘遊園モノレール線と同じロッキード式であったが、開発したアメリカのロッキード社のモノレール事業からの撤退や1970(昭和45)年の日本ロッキード社の解散で部品供給も絶たれ、メンテナンスもままならなくなった。
会社がどっしりしていて自社対応できる小田急とは事情が異なり、利用が低迷している姫路モノレールが存続する選択肢はなくなっていた。
現在と異なり国の補助金制度もなく1974(昭和49)年4月に休止、1979(昭和54)年1月に廃止となった。
(姫路—大将軍)
広い通りの側から。路地側より昭和感が薄れている?
(姫路—大将軍)
路地側に戻る。軌道はすでにないが、風景は昭和で止まっているかのようだ。
いわゆる「高架下」の建物で、橋脚の撤去がままならないためこのままになっていると思われる。
これは神奈川のドリームランドモノレールの遺構などでも見られる。
(姫路—大将軍)
山電本線を跨ぐ場所では、ハンマーヘッドシャークの如くT字…いや、〒字橋脚が仁王立ちしている。
Tの横棒が枕木方向ではなくレール方向を向いているのは、東京モノレールでも見られる構造。
そして、Tを〒にしている「上の横棒」こそ軌道桁である。径間は外してもこの部分だけ残っているのが面白い。
(姫路—大将軍)
山電本線を跨いで西側に進んだところにも、同様に軌道桁が串刺しになっている建物がある。
橋脚には配線が残っている。
(姫路—大将軍)
建物を南側から眺めながら西に進むと、路地を挟んで先の建物もまた同じ状態。
(姫路—大将軍)
「不法投棄禁止」の看板は橋脚に対してか? と考えてしまう。
まるで7月にことでんで見た風景と同じじゃないか。
(姫路—大将軍)
振り返ると、奥にハンマーヘッドが見える。
(大将軍)
串刺し物件の先へ進むと、道路に挟まれた殺風景な空間が現れる。
木が立っているところは小さな公園となっており、ハトを手なずけるナゾのお団子少女の像がある。
ここが中間駅である・大将軍(だいしょうぐん)駅の跡地。
(大将軍)
大将軍駅は姫路駅から500mちょっと。10階建ての複合ビルの3・4階に駅を設置した。
ビルはモノレール建設と一緒に建てられ、1・2階は商業施設、5階以上は高尾アパートという高層住宅であった。
営業8年弱の儚い命であった姫路モノレールであるが、姫路駅に近すぎるこの駅の利用は芳しくなく、開業から2年も経たない1968(昭和43)年1月を以ていち早く営業を休止した。
写真の通り、カーブした道路に並行して土地もカーブしている。
ビルも同じくカーブを描いており、10階建てという高さも相まって独特の存在感を醸し出していた。
阪神・淡路大震災のあとの耐久診断で「補強が必要」との結果が出たが、建物自体古いことから解体が決まった。
2016(平成28)年8月、大将軍駅構内の遺構が初めて一般公開され、その後解体された。
跡地は何かしらの施設への利用が検討されていたが、解体したビルの杭基礎の掘り出しが困難なことがわかった。新たに建物を建てる際の基礎工事ができないため、現在は更地のままになっている。
(大将軍—手柄山)
大将軍駅跡から県道62号へ進むと、船場川に架かる将軍橋に出る。
大将軍駅の名は、この近くにある「大将軍神社」から来ている。
「大将軍」は征夷大将軍のことではなく、陰陽道の八将神のうちの一人の神様の呼称だそうだ。
(大将軍—手柄山)
将軍橋から船場川を眺めると、カーブを描く川に沿って橋脚が続いている。
平成に建ったであろうマンションの裏に、昭和中期の遺構が並んでいるのだ。
(大将軍—手柄山)
マンションの先のセブンイレブンの裏には連続して軌道が残っている。
この写真は将軍橋からの写真を撮る前に県道62号の横断歩道を渡る際に撮ったもの。
(大将軍—手柄山)
軌道は道路橋のたもとから川に沿って続く。奥は山陽新幹線。
山電本線・山陽本線・姫新線・姫路モノレールを跨ぐため高々架になっている。 おそらく飾磨港線(播但線の一部)も跨いでいたんだろう。
(大将軍—手柄山)
道路橋から将軍橋側を眺める。鉤型のビームが楽しい。
(大将軍—手柄山)
道路橋から手柄山側を眺める。
ラピュタ化が進んでいるが、未だバルスされずに残っている。
(大将軍—手柄山)
マンションと、軌道の切れ目。
(大将軍—手柄山)
先ほどの道路橋から隣の道路橋までが軌道が残っている区間。
公道に面した所であるが、軌道が残っている理由は何なんだろうか?
なお大将軍神社は画面右方向、県道62号を渡った先辺りにあるようだ。
船場川脇の道はここで終わり。遺構も見えないため、県道62号から離れる西回りで手柄山へ向かう。
(姫路—播磨高岡)
住宅地の途中で非電化の線路の踏切に出た。姫新線か。
「とまれ」の円標識の右に手柄山の欧風の城のような建物が見えている。
モノレールに会いに行こう!
姫路城でさんざん歩いたあと、手柄山までもなかなかの距離を歩いてきた。
かなりの疲労を感じつつ、山陽本線の低いガードをくぐって手柄山公園の敷地に入った。
モノレールの展示施設があるはずなのだが、ホールらしき白い建物が目に入った。
警備員さんに声をかけたら、駐車場の脇からあぁ行ってこう行って…と懇切丁寧に教えていただいた。すんごい親切。
(手柄山交流ステーション)
モノレール展示室は「手柄山交流ステーション」という施設に水族館と併設されているという。
交流ステーションに行くには、階段で丘へ上がって、さらにエレベーターでデッキに上がり…というのが警備員さんから聞いたルート。階段の途中からそのエレベーターを撮ったカット。
でも丘の階段脇の立体駐車場内にもエレベーターがあるようで、それを使うと写真の左側から渡る通路に出られたようだ。
(手柄山交流ステーション)
「水族館入口」と書いた自動ドアのガラスに、「姫路モノレール」のステッカーがちょこんと貼られている。
(手柄山交流ステーション)
エレベーターでデッキへ上がった。先ほど遠くに見えたお城のような建物や、姫路市立水族館が見える。
水族館へ続く通路を進み、水族館入口で「モノレールを観に来ました」といえばそのまま通してもらえる。
水族館は有料、モノレール展示施設は無料だが、水族館の料金所がその手前にあるわけだ。
建物内のエレベーターで2階に上がる。
200形(手柄山交流ステーション)
ババーン! 鎮座ましますのは、姫路市営モノレール200形様でございます。
顔を正面から撮りたいが、写っている手すりより右側は有料の水族館への通路。警備員が立っていて、水族館のチケットなく通路に立つことは許されないのだ。
…まぁ大袈裟に書いとりますが、この手すりの位置が水族館の事実上の改札口なので、下で声をかけただけでここまで来れるのだ。
200形(手柄山交流ステーション)
200形は両運転台車。いい感じで保存されている。
車体はアルミ製で、航空機のボディを造るのと同じ手法で造られたそうだ。
200形(手柄山交流ステーション)
開放されている201号車。運転台スペースのガラス仕切りは現役時代は無かったものかもしれない。
現役当時の動画がモニターで上映されている。
200形(手柄山交流ステーション)
202号との連結側の運転台には成田山らしきお守り。
200形(手柄山交流ステーション)
厚いクッションが印象的なクロスシートが並ぶ。
窓の外の広告は営業当時の雰囲気を醸し出す。
200形(手柄山交流ステーション)
送風機。
200形(手柄山交流ステーション)
メガネセンターのおねえさんがのぞき込む。
200形(手柄山交流ステーション)
姫路市章と車号・サボ。アルミ地肌部分は黄ばみがある。これがキレイなるとなお良いのだが。
200形(手柄山交流ステーション)
連結部。貫通型のため、ホロでつながれている。
200形(手柄山交流ステーション)
時刻表と時計が並ぶ。実はここは手柄山駅のホームそのものを流用しているそうだ。
200形は営業休止後ずっとこの屋内の手柄山駅跡で保存されていたため、汚れはあるもののこうして展示ができる状態が維持されている。
200形(手柄山交流ステーション)
202号の顔は正面から撮れるが、柵が近すぎるんだよな。
200形(手柄山交流ステーション)
運転士の人形は、なぜか制帽を被る前に髪をかき上げているポーズ。
200形(手柄山交流ステーション)
本物の軌道桁が残っている。
200形(手柄山交流ステーション)
202号は封鎖されていて、彼らの貸切になっている。
(手柄山交流ステーション)
駅名標。右側に次の駅名が入ることはなかった。
(手柄山交流ステーション)
山電の広告。このロープウェイは現役で、山電車内から見た五色塚古墳同様、この旅の中で今後訪れるつもり。明日以降になろう。
(手柄山交流ステーション)
100形の残骸。片運転台の100形2両と、展示されている200形2両が姫路モノレールの全営業車両だ。
姫路博開催中…つまり開業当初は3連での運行だったそう。100形編成+200形1両という組合せと想像できる。
利用者が減っても200形単行運転というのは行わず、車両故障時を想定し2両運転が原則だったようだ。
上映されている動画では座席モケットが青系だったが、たぶん100形がそうだったんだろう。
(手柄山交流ステーション)
現役当時の案内看板。
(手柄山交流ステーション)
ひととおり見て回って出てきた。帰り際にもう一度デッキから風景を撮った。
あとで調べてわかったことは、モノレールは右奥に三角の出っ張りが2つある白い建物(姫路市文化センター)の前を通って、水族館の前を通って手柄山駅へ入っていたということ。
実は左端に見えているデッキの茶色い橋脚こそ、モノレールの橋脚そのものだったのだ。入場前の写真ではもっと大きく見えている。
さて、そろそろ宿に向かいますか。(つづく)
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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