2018/09/30

18.9.18 信越“&”ルート・12/長電地下区間

廃車置き場観察を終え、再び長電へ。




地下鉄

観察していた場所は予約してある長野駅前の宿へ歩いて行ける所であったが、敢えて再度長電に向かったのは地下区間をきちんと見たかったため。


(善光寺下)

先ほど下りた本郷の隣、地下区間の端っこの駅である善光寺下駅に来た。本郷駅もそうだが、廃車置き場観察ポイントからは近くはないことは断っておこう。
この出入口の手前(長野方)にも同じような通路があったが、駅は絡まないただの地下横断歩道だった。
この道路は「長野大通り」と呼ばれ、地下化される前に長電が通っていたルートを道路化したものだ。


(善光寺下)

駅に入る。1981(昭和56)年3月にこの地下駅に移行した。行灯ではないただの板の案内板が昭和を醸し出す。もう平成も終わるというのにね。
ちなみに改札近くのトイレは駅の雰囲気とは裏腹にキレイに保たれていた。
名前の通り善光寺へのアクセス駅でもあり、御開帳の時期は特急が臨時停車したりもするそうだ。
ただしラクに行くには長野駅からのバスがベストな様子。駅名を「善光寺前」にしなかったのもそんな距離感(いろんな意味での)だからかも。


1000系(善光寺下)

1番線を「ゆけむり」が通過。
長野駅以外の地下区間の3駅はすべて対向式ホームで線路間に間柱が並ぶ。



(善光寺下)

列車を待つ客は少なく、ピーンと静かな空間。
…なのだが、1人の中年男性客が携帯電話で仕事の話をしており、時折声がホームに響き渡る。
2つ前の記事に書いたが、やはり名鉄瀬戸線の東大手駅を思い起こした。1978(昭和53)年開業で地下駅としては3年先輩のあちらの方がより暗め・ホーム狭めだった。
ちなみに東大手駅は昨年3月までにバリアフリー化工事でリニューアルが完了。ホームは明るくなり、自動放送も導入されて垢抜けたようだ。


(善光寺下)

長野方には使われていない階段。先が見えず恐ろしいが、実は視界に入った位置に壁がある。
おそらく先ほど見た「駅が絡んでないほうの地下横断歩道」につながっていて、私が入ってきたのとは反対側の出入口にできる構造なのだ。
平均乗車人員が1,000人を切る少なさから、出入口を2つ設けてそれぞれに駅員を置くのは非効率である。




8500系(善光寺下)

上下列車が並んだ。ともに接近アナウンスは一切なく、トンネルの奥から轟音が徐々に大きくなってくることで接近を知る感じ。
ただし下り列車に関しては轟音が一旦止む。隣の権堂駅に停まるから。
権堂駅とは600mしか離れておらず、権堂到着前の走行音すら聞こえてくるのだ。
長野行はT2編成で、東急8500系の8502Fのなれの果て。信州中野行は村山橋の公園で2度撮ったT5編成。


8500系(善光寺下)

こちら2番線に来るのを期待していた3500系は1番線に登場。唯一の3連・L2編成。こちらも村山橋の公園で撮った。



8500系(善光寺下)

3500系を期待してもう1本待ったが、来たのは同じく村山橋で撮ってきた8500系T6編成。これに乗り込む。


8500系(権堂—善光寺下)

水色の蛍光管表示の案内機がドア上に装備されている。


8500系(権堂)

8500系らしい地下鉄走行で、次の権堂で降りる。


(権堂)

善光寺下駅より柱の幅が広い。
権堂は特急停車駅。長電本社の最寄り駅でもあり、駅の回りは善光寺下駅より賑やかなようだ。



2100系(権堂)

現れたのは「スノーモンキー」。
253系としてはスカ線の東京トンネルや空港第2ビル駅・成田空港駅など地下駅には縁があった。
女性客がフツーに乗っていった。はて、100円を払うのか、すぐ長野に着いちゃうからノーチェック前提なのか…。



8500系(権堂)

T4編成で長野駅へ戻る。3500系は来ない。


8500系(長野)

長野駅に到着。ライトきら〜んがステキだが、カメラのレンズが汚れてる証拠だな。
結局長野駅では往復ともこのT4編成のお世話になった。入線も同じく1番のりば。


8500系(長野)

長電のロゴは秘密組織のような五芒星。
東急時代のTロゴの位置と同じ所に付いているが、プレートは東急時代のようなロゴに沿った円形ではなく、方形。



8500系(長野)

昭和50(1975)年製か。この長野口の地下線よりも古いのだが、まったく垢抜けている。
テカってしまったが、長電移籍のための改造は2006(平成18)年との表記だ。


2100系(長野)

中央の線路にはこれまた往路に同じく2100系E1編成が停まっている。
せっかくなので観察していく。


2100系(長野)

湯田中方先頭車はクハ2151。元・クロハ253-6。
クロハ253は3連口のクロ253の開放型グリーン席を普通席に改造したもの。グリーン個室は存置されたため「ロ」が残った。
改造の際は2+1列のシートを2+2列に替え、200番台(現在「日光」「きぬがわ」用に転用され1000番台となった最終増備の2本)の普通車と同じリクライニングシートが配置された。
長電移籍後もリクライニングシートはそのまま使われている。



2100系(長野)

行先表示器は3色表示LED。
クロハ253への改造時に荷棚がハットラック式から開放型に変わり、スペース捻出の都合で薄い機器で済むLED式に変更されたそうだ。


2100系(長野)

最大の変化はここと言っていいだろう。
これぞ『スノーモンキー』の由来・雪の中露天温泉に入るサルの写真だ。2100系の顔はうまくやればサルっぽくもできそうな感じもする。
運転台と乗降扉の間には253系時代のグリーン個室が残っていて、現在は4人用個室「Spa猿〜ん」として1室1,000円必要。4人で利用すれば、1人あたり特急料金100円+250円=350円が運賃のほかに必要となる。
ダイヤを見ると、速達タイプのA特急だと全線踏破で45分弱。…+250円で個室かぁ、という感じだ。


2100系(長野)

中間車・モハ2101。元・モハ253-18で、N'EX時代は当初から普通車であった。
やはり座席はそのままで、更新改造後の集団見合い型の固定クロスシート。リクライニングしないのだ。


2100系(長野)

こちらは幕式。N'EX時代のデザインがベースになっている。
譲渡元がサイン類を用意し、移籍後もオリジナルの雰囲気を保っている例は各地で見られる。


2100系(長野)

長野方先頭車はデハ2111。制御電動車で、元・クモハ252-18。
長電では制御電動車がデハ、中間電動車がモハと分けられている。
M車は会社によって「デ」「モ」と表現が分かれるが、それを逆手にとったような例。南海の「各停」と「普通」のようだ。
カタカナがなくても数字だけで車両を特定できるようになっているのは他系列と同じ。


2100系(長野)

デハもモハと同じく幕式行先表示と固定クロスシート。つまり2100系ではリクライニングのクハの開放席が乗り得となる。
B特急は通勤特急的なポジションで、A特急よりも停車駅が多い。特に長野—朝陽間は通過駅が善光寺下と桐原しかない。同区間は駅間が短く、デッキ付き特急車がこまめに停まるとムダに時間がかかると思う。
クロスシートに座れれば100円の恩恵はある。
逆にこの特急料金の安さで、客足が落ち着いた時間帯は高校生なども気軽に使う風景があるようだ。


8500系・2100系(長野)

N'EX(Narita Express)の文字はNER(Nagano Erectric Railway)に変わった…と言いたかったが、NERの文字の位置にあったのはJRロゴ。N'EXロゴがあったのは貫通扉(移籍時非貫通化)の小窓脇の黒い部分だった。


2100系(長野)

頭端式のどん突きには植物、というのは誰が決めたんだろうか?
それにしても、神鉄神戸高速線の新開地駅に似ているなぁ…と改めて思いながら改札を出て、駅からほど近い宿にチェックインしたのであった。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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