長野駅の在来線改札を出て、駅に付帯した商業施設『MIDORI長野』の中の店でソースかつ丼を喰らう。
その近くの出入口からペデストリアンデッキに出た。
(長野)
善光寺口。
在来線ホームの雰囲気とはガラリと異なる立派な駅舎を眺めながら、駅前を横切る通りの反対側へ進んだ。
長生きの電車
そこにあるのは長野電鉄(長電…ながでん)の駅の入口。
(長電長野)
地下横断歩道の入口も兼ねたもの。地方都市の交差点にありがちなやつに駅の看板をつけた感じ。
JR・しなの鉄道の長野駅舎のすぐ脇には、もっと垢抜けた出入口もあったようだ。
(長電長野)
コンコースは昭和の風景。長電長野駅は地平から1981(昭和56)年に地下に移転した。
改札口にはICカードは使えない旨の表示があり、きっぷを買って入場。
2100系(長電長野)
入ってまず目に入ったのは中央の線路のN'EX…いや、2100系『スノーモンキー』。
私の地元の総武線を駆け回っていたJR東日本「成田エクスプレス」の253系を譲受した車両。
ロゴや車号などが変わっているが、遠目には往年の姿と同じだ。
2100系(長電長野)
私の入場からわりとすぐに出発してしまった。湯田中行だ。
この編成は2本ある2100系のうちE1編成。
E2編成は側面のグレーがなくなったりおでこも赤くなったりと独自のカラーパターンに変わっている。
JR253系(立川・2010.1.23)(再掲)
E1編成の元であるNe107編成時代の写真。
鎌倉車両センターから豊田に疎開していた編成が鎌倉に還る回送列車に偶然遭遇したのだ。
おそらく後ろに付いているのがNe108編成で、現在の2100系E2編成と思われる。
8500系(長電長野)
頭端式2面3線の1番のりばには元・東急8500系。こちらでも系列名はそのまんま8500系。
この駅の雰囲気はおととし訪れた神鉄神戸高速線の新開地駅にかなり似ている。
3500系(長電長野)
4番のりばには長電では一番のお目当ての3500系。
言わずと知れた、元営団地下鉄日比谷線用3000系だ。
乗りたいところではあるが、この列車を沿線で捕らえるべく、8500系の須坂行に乗り込んだ。
現在長電は長野—湯田中間の長野線1路線のみとなっている。
乗り込んだ8500系の列車はもともとの長野線区間である長野—須坂間を完走する。
須坂—信州中野間は河東(かとう)線の一部、信州中野—湯田中間は山の内線であったが、旧・河東線は現存区間前後の通称木島線・屋代線とされた区間がともに廃止となったため結果として現在の1本の区間が残り、全線を長野線と呼ぶことになった。
長野から市役所前、権堂、善光寺下と地下区間を進む。8500系や3500系は似合う区間。
駅の感じなんかは名鉄瀬戸線の地下区間を思い出した。
本郷からは地上線。信濃吉田駅の周辺は、主要駅っぽいたたずまいを感じた。
朝陽駅からは単線になる。その次の附属中学前駅というアナウンスに「どこの附属やねん?」と心の中でツッコミを入れる。
駅に着くと、ホームで待っていたのは中学生ではなく2〜30人の小学校低学年児童と先生方。
先生方が手を降るなかお子様たちがドッと入ってきて、平日午後のおだやかな列車が一気にやかましくなってしまった。
時間帯的に小学校低学年の帰宅タイム。「附属」の母体は信州大学教育学部で、中学校・小学校・特別支援学校があるそうだ。
島式ホームの柳原駅では特急の交換待ちをするとのこと。列車を降りて迎える。
1000系(柳原)
現れたのは元・小田急10000形「HiSE」の1000系(1ケタ減ったのね)S1編成。
特急「ゆけむり」として、2編成が2100系「スノーモンキー」とともに活躍している。
後で知ったが、特急料金はたったの100円だ。
小田急10000形(厚木・1991)(再掲)
小田急時代は11車体連接で、窓回りと腰・裾部で2つのワインレッドが用いられていた。
長電では4車体連接で、2つのワインレッドは長電レッド1色に変わっている。
これで現在の長電の所属4系列にすべて出会った。
それぞれが別々の会社から集まり、現役を延長している。
「長電」は、長生き電車の意味も通る。
(柳原—村山)
柳原を出ると、道路併用橋「村山橋」で千曲川を渡る。
名鉄のかつての犬山橋とは違い、道路と線路は棲み分けされている。
今回はこの村山橋の先で撮影を行うため、村山駅で下車。
8500系(村山)
柳原駅と違い右側通行の村山駅を8500系T4編成が出発。8500系は6編成が在籍。
地下の長野駅でも感じていたが、赤帯が濁っていてちょっと体調が悪そうに見えたり。
この編成は東急では8505Fであった。8504号は東急では8505号、8514号は東急では8605号だった。
(村山)
右側通行の理由は、構内踏切が長野を向いた際の長野寄り左側の線路を跨いでいるため。
通常の左側通行にすると長野行列車の進行方向に踏切があり、降車客が、列車を進む方向を横切ることになるからだ。
(村山)
まるで映画のセットのような村山駅舎。
かかしが見守るお立ち台
村山駅を出た先にある国道406号を右に進むと、交差点の先に村山橋が見える。駅からは大した距離ではない。
(柳原—村山)
橋のたもとには「村山橋メモリアルパーク」という公園がある。
ライトグリーンの鉄骨は1926(大正15)年に竣工した旧・村山橋のもの。
現在の村山橋は2009(平成21)年までに新たに架けられたものだ。
(柳原—村山)
親柱。片っぽは接合されていたものがあったのか、随分ボロボロしている。
(柳原—村山)
トラスのジョイント部。リベットがステキだ。
(柳原—村山)
かつての姿を写真で確認できる。
(柳原—村山)
公園から線路を挟んだ向こうでは、大事な稲穂をカカシとタカ?が守っている。
すばらしく平和な風景。
さすがに大きな川の脇は風が強く、鳥は風を受けてなびいている。
8500系(柳原—村山)
最初に現れたのは長野行8500系T5編成。東急では8524Fだった。公園から撮影。
先ほどのT4編成と違いスカートが付いているほか、長野より先頭車8500形にもパンタが付いている。
赤帯は血色はいいが、カサカサの様子。
何にせよ、奥へ重なる山々を背景に走る8500系…カルチャーショックである。
(柳原—村山)
3500系を迎えるため公園から橋のたもとに移動。
千曲川を境に村山側は須坂市、柳原側は長野市となっている。
こちら須坂市側は堤防からしばらくはトラスではなくRC床板部が続く。
線路と道路が同じ橋となるのはトラス部である。
3500系(柳原—村山)
さぁ、お待ちかね3500系。トラスを抜け単独のガーダー橋梁部に進んで来た。
鳥がエスコートしてきたのは、長野駅で撮った車両でN7編成。
3500系(柳原—村山)
飯縄(いいづな)山をバックに昭和の地下鉄車両が走る。
営団3000系の「ドアの小さくて高すぎる窓」が健在。
3500系(柳原—村山)
冷房化は京成電鉄の発生品を使い、電源のSIVは東京メトロ5000系の発生品を利用しているそうだ。
ともに私の地元の路線のものか…。感慨深い。
2枚目の手前に見える黒いフェンスや案内板が公園だ。
3500系の営団地下鉄3000系時代の写真はこちらの記事で。
3000系時代は正面から運転台床下に斜めの梁が見えるのが特徴であったが、今は見当たらない。
(柳原—村山)
公園に戻る。引きの画なので橋が遠く見えるが、大した距離ではない。
(柳原—村山)
湯田中方はこんな風景。もしネタ列車が走れば、ここは撮り鉄が並ぶことになろう。
今はほかの撮影者はいない。この写真の右脇にベンチがあり、座って次の列車を待つ。なんとも便利な空間。
橋の坂を下りた先にはコンビニもある。
3500系(柳原—村山)
前の下り列車から24分後、ようやく現れたのは上りの3500系L2編成。
L編成は「Long」の意味で、3500系の中で3連を組むものを指す。車番は3600台だ。
3本在籍したL編成は2本がすでに引退しこの1本だけが残っている。つまりは3500系唯一の3連であり、撮れたのは運が良かった。
3500系は2019年度から計5本導入される3連の車両で置き換えられる計画だそうだ。導入される車両は譲渡車なのか新車なのかも未定。
(柳原—村山)
村山橋が渡るのは新潟市を河口とする「千曲川」…つまり信濃川である。
新潟県内が「信濃川」、長野県内が「千曲川」の呼称。信濃川水系の本流であり、河川法上は信濃川となる。日本で一番長い川として学校で習ったもんだ。
なお「千曲川」部分のほうが長いそうだ(信濃川の約1.4倍)。
8500系(柳原—村山)
3500系から5分後に現れた次の列車は下りのため橋のたもとで。
8500系トップナンバーのT1編成が来た。T1〜T3編成は湯田中方が8501〜8503であるが、これは東急時代も同じ車番だった車両。
つまり写真の編成は東急8500系の本当のトップナンバー編成である。
この辺りは東西方向のレールなので、光線は午前中がよい。
8500系(柳原—村山)
T1編成は白Hゴムで、東急での登場時の雰囲気がある。
ただし車番が白文字だったり(登場時はステンレス地)表示器がLED化されているのでちょっとアンバランス。
この編成も濁った赤帯だ。
1000系(柳原—村山)
「ゆけむり」登場。柳原で撮ったS1編成。こういう特急車は山並みが似合う。
8500系(柳原—村山)
次に現れたのはヘンな8500系。T6編成で、両先頭車は中間車の改造車。
デザインは合わされているが運用番号窓は必要ないため省略。代わりに車番がその位置に入り、原型車で車番が入る赤帯中央にはヘッドマークステーが付いている。赤帯は鮮やか。
村山橋の架け替えが終わった際、まさにこの編成に記念HMが付いたそうだ。
8500系(柳原—村山)
ここで最初に撮ったT5編成が帰ってきた。
私は橋のたもとには移動しておらず、同じ公園アングルで迎えた。
8500系は3500系と共に耐雪ブレーキやドアレールヒーター等寒冷地対策が施されているが、急勾配の多い信州中野—湯田中間には抑速ブレーキがないため入れないんだそうだ。
つまり、信州中野—湯田中間の普通列車は基本的に3500系オンリーである(他の区間も含め特急車が代走使用される場合がある)。
2100系(柳原—村山)
スノーモンキー登場。長野駅で撮ったE1編成だ。
253系時代に活用されていた正面貫通扉は埋められて非貫通に変わっている。
(柳原—村山)
全系列が撮れたので村山駅にカエル。
滞在1時間20分。日差しと川風をだいぶ浴びて疲れた。
8500系(村山)
きっぷを買い、トイレ(めっちゃ狭い)に行って戻ってきたら、列車がドアを閉めたところだった。
まったく時刻表を見てなかった…。
(村山)
村山は無人駅。昭和の雰囲気の待合室があるが、LEDの案内板がミスマッチ。
(村山)
ホーロー看板もめっちゃ昭和。
(村山)
川から離れたこのホームでは風もなく、秋になりかけのおだやかな空間。
3500系(村山)
L2編成が長野から戻ってきた。2枚目はしゃがんで太陽をクリア。
3500系(村山)
上信越道をくぐり次の日野駅までは一直線。
ここからは列車が日野駅に停まっている姿も見える。
8500系(村山)
私の乗る長野行は白Hゴムと濁り赤帯で血の気の引いた8500系トップナンバーT1編成。
高校生の帰宅ラッシュに当たってしまった。ローレル賞プレートもあったが、撮れる状況ではなかった。(つづく)
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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