あけおめ。
…なんと9月の東武線記事の次の記事の書き出しがこれ。だいぶ撮影に出かけてないな。
いろいろと休日の時間を消費する用事が多かった。
そんなわけでリアルタイムの記事にできるネタがないのだが、当ブログでいうところの「なつかし写真」のうち唯一丸々出し損ねていたのが江ノ電だ。
今回は27年前に撮影したその江ノ電の写真をアップ。私が高1のときだ。
なつかし写真のネタは増えるわけはなく、この江ノ電でほぼ出し切る形になるはずだ。
江ノ電に詳しいわけではないので、いつもそうであるがWikipediaほかネット上の情報を参考に説明を書いていく。思い違い等もあるかもしれないので、あしからず。
連接車天国
1991(平成3)年1月15日、江ノ電の撮影は後にも先にもこの日だけ。ちょうど今と同じ時期でいいな。
たぶん、中学時代に学習塾で一緒だった仲間と行ったと記憶している。
小田急ロマンスカー「えのしま」で車内の喫茶メニューにあったトマトジュースをすすりつつ、起点の藤沢に出た。
300形(藤沢・1991.1.15)
江ノ電の藤沢駅は2面1線でドーム型の屋根を持つ高架構造。私の勝手な江ノ電の世界観とは違った印象だった。
まず最初に対面したのは300形。シル・ヘッダー付きの車体とつりかけ駆動のリアルオールドタイマー。
当時神奈川県内ではほかに鶴見線でクモハ12、箱根登山鉄道でモハ1形といったシル・ヘッダー付車体&つりかけ駆動の現役旅客車が走っていた。
1500形(江ノ島・1991.1.15)
次にやって来たのは江ノ島駅。ちょうど現在の駅舎が建てられているタイミングだ。
湘南モノレールの湘南江の島駅は近いが、小田急の片瀬江ノ島駅とは場所が違う。ロマンスカーを降りたのが藤沢なのはのりかえやすさを選んだためと思われる。本当なら終点まで乗っていたいもんだが。
1500形は江ノ電初のカルダン駆動車。この列車は1編成のみ使用の2両の列車。
初代500形(江ノ島・1991.1.15)
留置線には本日お休みの500形501Fと、近い時期にお色直しされたばかりの保存車100形の姿。
いま500形といえば2006(平成18)年に登場した新しい車両を指すが、この初代500形の丸みを帯びたデザインを継承しているのは一目瞭然である。
500形は1956(昭和31)年に登場した車両。当時の私鉄で流行した「モノコック構造」の丸い車体が特徴。
写真の時期はすでにつりかけ駆動からカルダン駆動に変更された後である。
100形(江ノ島・1991.1.15)
連接車ではない単車のため「タンコロ」の愛称がある100形は昨年、映画『DESTINY 鎌倉ものがたり』に登場して話題になった。
実際にこの108号の車内のパーツを一部撮影所に写して車内シーンの撮影を行ったそうだ。
100形は現在は極楽寺検車区で動態保存されているが、車籍はなく本線走行はできない。
1100形・1000形(鎌倉高校前—七里ヶ浜・1991.1.15)
道路との並走区間で沿線撮り。この区間では家の門を出るとすぐ線路、という恐ろしい場所である。
藤沢方から1100形—1000形の4連で、アイスクリーム「ドライヤーズ」の広告電車。
1100形はこの1編成のみ、1000形は2編成がある。
1000形は江ノ電では革命的なモダンなスタイルで1979(昭和54)年に登場したが、急曲線に対応する台車に用いるカルダン駆動の実績がなかったことから、敢えてつりかけ駆動で造られたそうだ。
1100形は1000形をベースに冷房準備仕様で新製したもの。両者とも昭和のうちに冷房が取り付けられている。
300形(鎌倉高校前—七里ヶ浜・1991.1.15)
300形2本併結の4連。藤沢駅で撮った編成だ。
ノーシルノーヘッダー・張り上げ屋根の305Fはこの2年前に更新改造を受けてカルダン駆動・冷房付に生まれ変わっている。
303Fは旧来の木製キャンバス張りの屋根スタイルだが、この2年後に305Fと同スタイルになる更新を受けている。ただしウィンドシルは残ったままだった。
305Fは300形で唯一、現在も現役で走り続けている。
1200形(鎌倉高校前—七里ヶ浜・1991.1.15)
全線単線の江ノ電だが、海を目の前にした位置に交換用の峰ヶ原信号場がある。
これはそこに停車中の車両を撮ったもの。
1編成のみの1200形は1100形から発展して当初から冷房付きで新製、ヘッドライトも角形に変わっている。
しかし駆動方式は相変わらずつりかけ。日本の狭軌鉄道線で最後のつりかけ駆動の新製車とされている。
鉄道線…つまり、江ノ電は軌道線ではないのだ。
300形(鎌倉高校前—七里ヶ浜・1991.1.15)
300形トップナンバー。300形は自社や都電・西武の車両の台枠を使って製造された車両で、現在の江ノ電のスタイルである連接車のはしりだ。
301Fの車体は都電1500形がベースになっている。
300形・1200形(鎌倉高校前—七里ヶ浜・1991.1.15)
300形編成の藤沢方は304F。張り上げ屋根&ウィンドシル付のスタイル。
2000形・1500形(鎌倉高校前—七里ヶ浜・1991.1.15)
当時最新の2000形が登場。前年の4月から走り始めた。
並んだ1500形の次の形式で、車体は大きく変わったものの、足回りは1500形とあまり変わらないようだ。
2000形の行先表示は季節に応じた柄が用意されている。行先の設定数が少ない路線ならではの遊びだ。
両列車とも2両編成の列車。
300形(鎌倉高校前—七里ヶ浜・1991.1.15)
再び住宅街区間に戻った。この区間はバラストがまかれた専用軌道に見えるが、法律上は道路上に設けられた併用軌道の扱いなんだそうだ。
(極楽寺検車区・1991.1.15)
極楽寺の車庫を観察。このバラック然とした建屋を見たときには唖然とした。現在は新しいものに変わっている。
初代500形(極楽寺検車区・1991.1.15)
私の中で「江ノ電!」という車両がこの500形であったが、結局この日は2編成ともお休みで走行シーンは撮れなかった。
冷房改造が難しい構造が災いし、500形は2003(平成15)年に300形より早く形式消滅となっている。
300形・1000形・500形(極楽寺検車区・1991.1.15)
306Fはこの3ヶ月後に廃車になった。元をたどると昭和2年製の都電の車両。
その後江ノ電で200形となり、連接化改造で300形に編入された。張り上げ屋根ではないがノーシル・ノーヘッダー。
300形のなかでいちばん大きい番号の編成であるが、同系式で最初の廃車となった。
写真では右奥の建屋内に302号の顔が見えている。
2000形(極楽寺・1991.1.15)
極楽寺駅に入る。藤沢に戻るため、鎌倉行2000形はお見送り。
この駅で撮ったもう一つの列車の写真が1502Fのものだが、失敗なので載せない。
そこに写っている1552のナンバープレートは1501Fと反転してクリーム地に文字が緑となっていた。
300形(石上・1991.1.15)
藤沢の一つ手前の石上は道路に挟まれた位置にある。
高架の藤沢駅へのアプローチは駅を出るとすぐ始まっている。
1500形(石上・1991.1.15)
藤沢駅は単線なので、当駅で藤沢行を見送ると、同じ車両が戻ってくるだけだ。
1100形(藤沢・1991.1.15)
さいごはドライヤーズの1100形で藤沢へ。
アイスクリームでドライヤーズという響きは不思議に思ったもんだ。スペルがdryでないのはわかっているが。
これにて江ノ電なつかし写真は終了。
さて、リアルタイムの記事はいつ復活するのか…?
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
1 件のコメント:
こんにちは。
先日コメントを入れさせて頂いたのですが、うまく操作完了できず、重ねてのコメント送信になってしまっておりましたらご容赦頂ければと思います。
自分の幼い頃に見た江ノ電の風景そのもの、お写真を懐かしい思いで拝見させて頂きました。連接車も不思議な存在に思えましたし、道を走ったり、急カーブで路地の間を抜けて行ったりと、普段の電車とは違う見所がたくさん、という印象でした。
500形のデザインは印象に残っています。実際に乗れたことはなかったように思いますが、この車両も江ノ電らしさの象徴のように思っていました。
1000形と1500形、ボディのデザインは全くと言って良い程に同じに見えるのに何故別の形式になっているのか理由を知らずにいましたが、こちらの記事で納得です。そして、生活道路の傍を走る区間、専用軌道ではなかったのだと知り、また新発見があった気分です。
もう何年ぶりになるかも分からないですが、久しぶりに江ノ電を訪ねたくなりました。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
コメントを投稿
コメントは管理人が通知メールを確認後掲載可否の判断をします。
表示まで日数がかかったり、非掲載となる場合があります。
管理人はコメントへの返信必須のスタンスではありませんが、掲載した場合は「コメントありがとうございます」の意味がこもっていますので、予めご了承下さい。