まだまだ車庫での観察は続く。
経営難を招いたのは…
デハ1000形
デハ1000形は2両とも正面窓の「クマ」が目立ち、ワイパーの台座になっている。営団時代にはなかった部分だ。
デハ1000形
現役車両とは思えない廃れ感。ただ、幽霊列車の演出ではない。
デハ1000形
銀座線時代と比べると赤みが弱い。これは雑誌などで見た塗り替え当初の写真でも同じイメージだった。
2000形(表参道・1993.7.29)(再掲)
銀座線での営業運転最終日の2000形。2000形といえばこのオレンジだ。
デハ1000形
デハ1002は引退時のステッカーがそのまま貼られている。引退後しばらくは外川の側線に居た。
デハ1000形
2両とも、営団車号側のテールライトケースは車体色に塗装されている。
デハ1000形
そして、銚電車号表記側のテールライトケースは2両とも銀色(無塗装?)。前出の銀座線時代の写真と同じ状態。
デキ3
伊予鉄と大正電機と丸ノ内線が縦に並ぶ。そして、デキのボディには銚電旧色と銀座線が写る。
元伊予鉄700系
気になるHM。京王→伊予鉄→…青いのが銚電で纏う色なんだろうか? 澪つくし号風の配色だ。
3枚目は床下で作業員が整備中。
2000形
京王時代の写真を含めかねてより気になっていた正面窓のフレームは、白で塗装されていた。金属地丸出しの押縁的なものかと思っていたが。グリーン車再現の2001Fも以前は白塗装だったが、現在は車体と一体でグリーンになっている。
2000形
2002Fは1月に笠上黒生駅のポイントで脱線事故を起こした。経営難により2002Fの整備代の確保も厳しいとみられたところ、銚子商業高校の生徒がネットで整備代の募金をつのり(クラウドファウンディングというらしい)、必要な金額が確保されたんだそうだ。
物販の手伝い等、普段から銚子商業の生徒は銚電に関わっているとのこと。 HMにはそんな感謝の意が込められている。
2000形
張り上げ屋根、ノーシル・ノーヘッダー、角丸仕上げの貫通路側妻面、非ユニット窓、片開きドアとそのHゴム押さえの窓。…そしてそこに塗った赤電塗装。…すばらしく美しいと思った。積年の汚れが見えるアルミサッシもゴールドに見えるくらいだ。
2000形
デハ2002はコイルバネ台車、クハ2502は空気バネ台車。
(仲ノ町)
見学を終了し車庫から構内踏切を渡ったら、ボンビー像があることに気づいた。
一時期桃鉄ラッピング車両が走っていた縁からあるんだろうが…経営難はこれのせ…(以下略)。
一応、アタマにサルが乗っており「貧乏が去る」像なんだというが。
(後年追記:のちにスマホ版桃鉄をやって、貧乏がサルを体験したのだった)
2000形(仲ノ町)
構内踏切の手前から2000形を撮って仲ノ町での撮影は終了。肝心の駅舎&銚電社屋を撮るのを忘れていた。(つづく)
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
0 件のコメント:
コメントを投稿
コメントは管理人が通知メールを確認後掲載可否の判断をします。
表示まで日数がかかったり、非掲載となる場合があります。
管理人はコメントへの返信必須のスタンスではありませんが、掲載した場合は「コメントありがとうございます」の意味がこもっていますので、予めご了承下さい。