1990
05系(原木中山・1990)
わが地元・原木中山駅に到着した04F。
05系・5000系(西船橋・1990)
05系新造で置き換えると思われていた5000系に冷改車が登場。内装は更新され、外目も黒Hゴム化・ATS-P取付での方向幕更新(快速表示器廃止→幕に快速コマ追加・英字併記化)、帯の再塗装でキレイになった。これにより、05系と5000系の競演が長くなることが決定した。
05系・5000系(西船橋・1990)
非冷房のままATS-P取付のみ行われ快速表示器がなくなっただけの75Fと並んだ01F。この頃は進化の過渡期で、JR車も含めいろんな段階の車両が入り乱れていた。
05系(西船橋・1990.9.9)(再掲)
荒川近辺での何かの工事の影響だと思われる、葛西折り返し運行。「高田馬場」「九段下」は幕回し中。
05系(原木中山・1990.9.9)(再掲)
私が窓に映ってしまっている。
05系(西船橋・1990.9.9)(再掲)
夜まで葛西折り返しは続いていた。
1991
この年のうちに4次車までが出そろった。
現在はすでに01〜13Fが15000系に置き換わって本線から引退し、4次車どん尻の14Fだけ生き残っている。
05系・5000系アルミ車(西船橋・1991.5.4)
営団アルミ車の礎である5000系アルミ車と並ぶ。非冷房でドア交換もされていない5951号。
05系(葛西—浦安・1991.7.29)(再掲)
浦安橋の上から撮った05系。旧江戸川を1スパンで渡る江戸川第一橋りょうのアーチの高さがわかる。
中央快速線201系・05系ワイドドア車(三鷹・1991.10.27)
4次車として最後に登場したのが14F。05系初のワイドドア車かつVVVFインバータ制御車で、4次車の中で唯一特異な存在である。私が初めて14Fに遭遇したのは原木中山駅。階段でホームを目指す途中に発車。聴いたことがない制御器サウンドを響かせていてすぐ新車だとわかり、階段を駆け上がった。ワイドドア車投入はアナウンスされていたが、VVVF車でもあることはこのリアル体験で知った。
05系ワイドドア車・05系(西船橋・1991)
同じ4次車で1番違いの14Fと13Fが並ぶ。14Fは東西線初のLED行先・運番表示器使用編成でもあるが、正面行先表示器はドット数の制限から英字併記はなく、日本語と交互表示するようなこともないため、表記内容としては退化した印象がある。側面は英字併記だ。
05系ワイドドア車(原木中山・1991)
営団地下鉄50周年の派手なステッカーが貼られた14F。非常扉使用が必要となった際はちゃんと破れるようになってたんだろうか?
05系ワイドドア車(西船橋・1991.11.16)
都心ではラッシュ対策の試行錯誤が行われ、1両の車長20mのJR山手線には6ドア車、車長18mの日比谷線には5ドア車が、そして山手線と同じ20m車の東西線はドアの数はそのままで間口を拡げたワイドドア車が投入された。まるで国鉄の荷物車のような1.8mの両開き扉は異様だ。
05系ワイドドア車・05系(西船橋・1991.11.16)
LED表示器・WIDE DOORステッカーなどで既存車よりカラフルになったのがわかる(なんといっても50周年ステッカーが目立つが)。WIDE DOORステッカーは90年代末頃に剥がされた。
JR301系・05系ワイドドア車(西船橋・1991.11.16)
横に並ぶ301系も青帯化・冷改と姿を変えた。
1992
05系ワイドドア車(中野・1992)
この写真が本当に92年のものかは、私の記録に頼っているだけなので間違いかもしれない。
1993
05系(西船橋・1993.8.28)(再掲)
朝ラッシュ時の定期の九段下行。
5000系アルミ車・05系ワイドドア車(西船橋・1993.10.31)
冷改されリフレッシュした5000系アルミ車と並ぶ。5次車の15〜18Fはすべてワイドドア車だが、足回りはチョッパに戻った。
05系(浦安・1993.10.31)(再掲)
05系で最初に本線から離脱したのがこの11F。3両が生き残って近畿車輛へ飛んでから3年が経とうとしている。
05系ワイドドア車(中野・1993.11.6)
ワイドドア車のラストナンバー・18F。ワイドドア車は駆け込みを助長するだけで効果がないと言われ5編成で打ち切られてしまったが、21世紀になって同じくワイドドアの15000系が13本も製造された。リアルに通勤で使っている私の体感として、ラッシュ時のワイドドア車は非常にありがたい。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
05系・5000系アルミ車(西船橋・1991.5.4)
営団アルミ車の礎である5000系アルミ車と並ぶ。非冷房でドア交換もされていない5951号。
05系(葛西—浦安・1991.7.29)(再掲)
浦安橋の上から撮った05系。旧江戸川を1スパンで渡る江戸川第一橋りょうのアーチの高さがわかる。
中央快速線201系・05系ワイドドア車(三鷹・1991.10.27)
4次車として最後に登場したのが14F。05系初のワイドドア車かつVVVFインバータ制御車で、4次車の中で唯一特異な存在である。私が初めて14Fに遭遇したのは原木中山駅。階段でホームを目指す途中に発車。聴いたことがない制御器サウンドを響かせていてすぐ新車だとわかり、階段を駆け上がった。ワイドドア車投入はアナウンスされていたが、VVVF車でもあることはこのリアル体験で知った。
05系ワイドドア車・05系(西船橋・1991)
同じ4次車で1番違いの14Fと13Fが並ぶ。14Fは東西線初のLED行先・運番表示器使用編成でもあるが、正面行先表示器はドット数の制限から英字併記はなく、日本語と交互表示するようなこともないため、表記内容としては退化した印象がある。側面は英字併記だ。
05系ワイドドア車(原木中山・1991)
営団地下鉄50周年の派手なステッカーが貼られた14F。非常扉使用が必要となった際はちゃんと破れるようになってたんだろうか?
05系ワイドドア車(西船橋・1991.11.16)
都心ではラッシュ対策の試行錯誤が行われ、1両の車長20mのJR山手線には6ドア車、車長18mの日比谷線には5ドア車が、そして山手線と同じ20m車の東西線はドアの数はそのままで間口を拡げたワイドドア車が投入された。まるで国鉄の荷物車のような1.8mの両開き扉は異様だ。
05系ワイドドア車・05系(西船橋・1991.11.16)
LED表示器・WIDE DOORステッカーなどで既存車よりカラフルになったのがわかる(なんといっても50周年ステッカーが目立つが)。WIDE DOORステッカーは90年代末頃に剥がされた。
JR301系・05系ワイドドア車(西船橋・1991.11.16)
横に並ぶ301系も青帯化・冷改と姿を変えた。
1992
05系ワイドドア車(中野・1992)
この写真が本当に92年のものかは、私の記録に頼っているだけなので間違いかもしれない。
1993
05系(西船橋・1993.8.28)(再掲)
朝ラッシュ時の定期の九段下行。
5000系アルミ車・05系ワイドドア車(西船橋・1993.10.31)
冷改されリフレッシュした5000系アルミ車と並ぶ。5次車の15〜18Fはすべてワイドドア車だが、足回りはチョッパに戻った。
05系(浦安・1993.10.31)(再掲)
05系で最初に本線から離脱したのがこの11F。3両が生き残って近畿車輛へ飛んでから3年が経とうとしている。
05系ワイドドア車(中野・1993.11.6)
ワイドドア車のラストナンバー・18F。ワイドドア車は駆け込みを助長するだけで効果がないと言われ5編成で打ち切られてしまったが、21世紀になって同じくワイドドアの15000系が13本も製造された。リアルに通勤で使っている私の体感として、ラッシュ時のワイドドア車は非常にありがたい。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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