2011/06/02

京成 東中山 なつかし写真・2

東中山での余剰なつかし写真のつづき。


AE

初代AE形が正味の「スカイライナー」として成田空港へ達したのは空港開港の1978(昭和53)年。はじめは上野—成田空港間ノンストップで、京成には日暮里で国鉄と接続なんて考えは微塵もなかった。私が幼稚園に入る前の年だ。
ガキの私は当然ノンストップ(この言葉を初めて聞いたのもこのスカイライナーの話でだった)ならばスピードが速い列車だと思っていた。しかし家の車で出かけたとき、この駅成田方の陸橋の上からや、葛飾(現・京成西船)の踏切で見たAEは鈍くさい走りでガッカリした。
ともに駅のすぐ脇であるうえにポイントや急カーブもあり、減速は当然な場所なわけだが、ガキにはそんなことはわかりやしない。


初代AE形(東中山・1992.5.3)

初代AE形が優しいスピードで通過する。初代AE形はこの1年後にすべて引退し、8連化の際に余って解体された2両を除いて3400形へ変身した。


AE100形(東中山・1993.3.3)

初代AEを引退に追いやったAE100形。2代目AE形の登場であっという間にトップの座を降ろされ、「シティライナー」に転用されたが、利用率が芳しくなかったところに震災が発生、節電ダイヤではシティライナーは完全運休となり、結局震災後はまったく出番がないままとなっている。
なお、なつかし写真ではいつも通りだが、当時は日中のヘッドライト非点灯は大概の会社で当たり前のことだった。AE100形の先頭もライトカバーが下りた状態が常だった。


ステンレス車

初代AEが登場した1972(昭和47)年の年末に3500形が登場。外板のみの「セミ」ながら、京成初のステンレスカーとなった。


3500形(東中山・1990.7)

3500形の更新車が登場したのは1996(平成8)年のこと。それまではすべてこのスタイルだったが、幕帯の幅や車号・社名プレートの地色の違い(初期車は太帯・青プレート)、新製末期のオールステンレス車など多少のバリエーションがあった。


3500形(東中山・1992.4)

写真の時点では、新製時に比べると種別・行先幕の色変更(白→青)や運転台下のパタパタ式行先サボの撤去(フックは残存)などの変化が起きている。
私の幼い頃はパタパタサボはまだ付いていた。正味の地元の同じステンレスカー・東西線5000系と見比べて、顔は板類が多いのとフチ付で3500形のほうが武骨な感じ、側面は全車戸袋窓がないので3500形のほうがスマートに思えた。車体長・編成長・ドアの数は5000系、冷房は3500形の完勝。



3600形(東中山・1989)

1982(昭和57)年に登場した3600形は、オールステンレス・界磁チョッパ制御・ワンハンドルマスコンと3500形から進化した一方で、浅草線協定に引っかかるため、1987(昭和62)年までは京成内のみで運用された。
車体は3500形を洗練したもの。正面はヘッド・テールライトの一体ケース化と種別幕独立、側面は扉間2段3枚窓→1段2枚窓、ドア帯の廃止などで、シンプルで美しいステンレスカーになった。


3600形(東中山・1992.2.11)

東急車輌製の車両は車体裾に台形の出っ張りがあり、東急8500系などと似た構造。裾が一直線でスッキリしているのは日本車輌製。
3600形はそれまでの形式と違って編成毎の付番が意識された。車号は成田方から末尾を1、2、3、6、7、8と付番し将来の8連化を想定しつつも、すべて6連で登場。1本目が3601-3608、2本目が3611-3618という所属編成がわかりやすい進番になった。


3600形(東中山・1993.3.3)

1997(平成9)年から既存車の組み替えで8連化が行われ、8連6本と余剰クハ改造のVVVF車6連1本を生んだ。数字の改番は一切なく、末尾4・5の車両は未だにないまま。中間車新造であれば違ったろうが、8連化に着手した時期が新製から長い年月が経っていたためこういう形になった。
写真当時3600形6連の普通列車はこうしてよく見られたが、現在はVVVF編成1本なので遇えたらラッキー。写真の3668は現在そのVVVF編成の上野方先頭車になっている。


3600形(東中山・1993.4.2)

現在は組み替えにより、写真のように1編成まるごと日車製という裾がスッキリした編成は消滅している。
車体色の変更に際しては、塗り替えの赤電に対し、3500・3600形は腰帯はファイアーオレンジのままで幕帯を青帯化するだけの小変身が進められた。
しかしこの写真の年、青幕帯化がまだだった3648編成が現行の赤+青帯の姿に変身し、以降全編成に普及した。3600形はこの現行色からドアにも帯を貼るようになった。


3700形(東中山・1993.4.2)

3600形からさらに進化してVVVFインバータ制御・ビードプレス外板・8連固定で1991(平成3)年に登場したのが3700形。北総線高砂延伸時に用意されたもので、6M2TながらTはクハではなくサハとした編成で、先頭車が電動車であることが条件の京急にも入れるようになっている。
新製時、京成らしくない新車体は違和感と進歩を同時に感じたが、方向幕は英字がなく、私は「時代遅れ」と感じた。その後ようやく「上野」と「成田空港」のコマにのみ入れた英字がこのみっともない「ルビ」スタイルだった。
のち全ての行先に一般的な英字が下に入る形に改善されたあと、LED化が行われた。今はスカートもついて立派になっている。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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