2010/04/16

京王 なつかし写真・3〜feat.都営新宿線

今回は京王線のステンレスカーのなつかし写真。


7000系

7000系は1984(昭和59)年に登場した京王線初のステンレスカー。
井の頭線では5000系の1年前・1962(昭和37)年に3000系が登場しているが、踏切の数が多い京王線では踏切事故に遭った際の修繕の手間を考えて6000系まで鋼製車で登場させたそうだ。

登場時の7000系は正面のアイボリーは用いておらず、銀とエンジ帯だけのスタイルだった。また正面の帯は貫通扉には入らず、左右に分かれていた。
その色味、門形の正面フレーム、ライトケースの形など、1年前に登場した東武10000系と同じような雰囲気があった。大きく違うのは戸袋窓の有無だろうか?


7000系(下高井戸・1991.4.3)

トップナンバー・7001F6連の各停。グリーン車や5000系の置き換え用で登場した7000系、この当時は各停専用というポジションだった。
正面はフレーム部分と帯の下の範囲がアイボリーに塗装され、登場時とイメージが変わっている。5000系・6000系と同じアイボリー+エンジ帯となったが、帯の太さは系列の数字が大きくなるたび増している。


7000系(代田橋—明大前・1991.4.3)

8連の7015F。当時「各停」の表示はなかった。
7000系は6000系と同じ界磁チョッパ制御で登場。顔も6000系の要素を引き継いでいるが、さすがにウィンク顔はなくなった。



7000系(柴崎・1993.3.8)

柴崎で立て続けに出会った7001F・7002F。正面の幌座と渡り板が目立つ。
7000系は都営新宿線には入らず、京王線内用。営団日比谷線3000系以降、東京の地下鉄の新系列はステンレスカーやアルミカーが続き、京王へやって来る都営10-000形もステンレス。…そんなイメージから、地下鉄へ入るのがステンレスの7000系ではなく鋼製の6000系であることが私にはしっくりこなかった。


7000系(下高井戸・1991.4.3)

1987(昭和62)年の7021F8連から側板のコルゲートは軽快なビードに替わり、正面は幌座と渡り板が消え、おでこの黒窓は急行灯ものみこんで左右いっぱいに拡がり、バランスよく、柔らかい印象になった。20番台であることから「7020系」と呼ぶ人もいるようだ。

このグループの登場時は側面・正面ともエンジの幕帯があった。正面の幕帯は黒窓下に細く入り、両端が5000系のように「天が水平のままの先細り」になっていた。より高い位置にある側面の幕帯へ向かって上っているようにな処理だ。
既存のコルゲート車にアイボリーが追加されたのはこのときで、同様に幕帯も追加された。幕帯は正面に関しては幌座部分で途切れたため、外が先細りで左右に分かれた帯は不機嫌な眉毛のようなスタイルになった。

幕帯は長続きせず、コルゲート車ともどもこの記事の写真の状態に落ち着いた。7020系の黒窓の下はアイボリーとなったが、コルゲート車はやはり幌座が影響して銀色のままとなり、顔の印象に差がついた。


7000系(柴崎・1993.3.8)

2年前の下高井戸と同じ7023Fか。私が撮った7020系はこの編成だけのようだ。
ちなみに東武10000系は7020系に1年遅れて側板がビードの10030系に進化した。

2001(平成13)年から7000系も優等運用に入る機会が増えた。
また6000系同様に帯を8000系と同じ2色に変更、スカートの取付やVVVFインバータ制御への更新も行われた。京王は今年度内に社内全車をVVVF車にするとのことで、未だチョッパのままの編成もあるようだが、VVVF化が行われるだろう。


8000系

8000系は1992(平成4)年に登場した京王初のVVVF車。


8000系(府中・1993.3.8)

6000・7000系の角張ったスタイルから、8000系は正面に丸みが戻った。
前記事にも書いたとおり私が京王を撮ったのは1991.4.3と1993.3.8の2日だけだが、1992年登場の8000系は当然93年のほうしかない。




8000系(柴崎・1993.3.8)

1992年のダイヤ改正で八王子特急はすべて8000系に置き換えられた。
京王線=ピンク+紺というスタイルはこの8000系からで、正面にコーポレートマークが入ったのも初めて。



8000系(柴崎・1993.3.8)

当時の10連は新宿方4連+八王子方6連だったが、現在は新宿6+八王子4に組み替えられている。
スカートがグレーなのも現在とイメージが違うところだが、私はこっちのほうがバランスがいいと思う。


8000系(笹塚・1993.3.8)

通勤快速で笹塚に到着。
8000系は都営新宿線乗り入れも考慮しての設計だったが、当時の都営新宿線のATCにVVVF装置が障害を引き起こすことが判り、乗り入れは実現しなかった。
現在は都営新宿線のATCが更新されてVVVF車も問題なく走行でき、京王からは9000系30番台車が乗り入れている。


都営地下鉄10-000形

ついでにこれまたこの日しか撮っていない都営新宿線10-000形を。
10-000形は1971(昭和46)年に試作車4連が登場し、都営三田線で試運転を行った。ATOなど当時の先端の機能も備えていた。
試作車は1978(昭和53)年の都営新宿線の開業にあわせて転属し、最終的に1次車と5次車を2両ずつ加えた3形態の8連を組んだ。顔は量産車と異なりのっぺりしたもので異端車となっていたが、運転士の間では量産車より扱いやすいとの声もあったようだ。



都営10-000形(笹塚・1993.3.8)

都営新宿線開業からデビューした量産車。試作車と同じセミステンレス・サイリスタチョッパ制御で登場。冷房はついていないが、準備工事が施されていた。
正面はFRPを使用して試作車よりも飾りっ気が出た。側窓は二段窓で、ドアの窓の形やドア開口部ギリギリまであるロングシートなどは京王6000系と共通している。



都営10-000形(笹塚・1993.3.8)

二段窓の1・2次車は登場時は6連だったが、のちに3次車もしくは5次車2両を挿入して8連化された。3次車から一段下降窓となったため、二段窓車が入る編成はすべて窓が不揃いとなった。


都営10-000形(笹塚・1993.3.8)

こちらは全車一段下降窓の4次車。3次車以降はオールステンレス車体となり、編成単位での新造は8連での登場となった。
4次車からは冷房付で新製。8連化用の5次車は編成に合わせて冷房準備車として登場し、のち3次車までの車両も冷房が搭載された。

10-000形の面白いところは国鉄車のようなグローブ形ベンチレーター(グロベン)が用いられていること。大手私鉄でも西武の旧101系が最後の新製じゃないか? という感じだが、この10-000形は1992(平成4)年製の7次車2本までグロベンが使われている。
10-000形は1997(平成9)年に2本を新造して増備を終了。この2本は側面がビード仕上げになり、正面は同じアルナ工機で製造された東武30000系にそっくりなものになった。すでにVVVFが当たり前の時代だったが、前述の理由でチョッパで登場。国内の新造チョッパ車としては最終となったそうだ。

セミステンレスの試作車・1・2次車は老朽化が進んだためすでに全廃されている。
それらに2両ずつ組み込まれていたオールステンレスの3・5次車は3ユニットずつ6本にまとめられ、新造の10-300R形先頭車で挟むという荒技で現在も走り続けている。

都営新宿線は今年度に4本を10連化し、2013年度には3編成が10連の新車に置き換わるという発表がされている。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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