2010/01/12

東海道線 なつかし写真・2

今回も引き続き東海道線113系の写真。


東海道線113系(田町・1989)

東京口の東海道線113系といえば、グリーン車が2両も入っているのが特徴。今でこそ首都圏では宇都宮・高崎・常磐線に広まったが、日常的にグリーン車が2両も入っている普通列車は東海道線東京口・横須賀線〜総武快速線系統だけだった。


東海道線113系(田町・1989)

田町での反対側のアングル。



東海道線113系(横浜—保土ヶ谷・1992)

横須賀線と併走。湘南方面に住むリッチな人々向けに1等車〜グリーン車があったわけだが、あまりそういう利用者が多い感じではなかった総武快速線も横須賀線と一体化したことからこれに仲間入りした。
近年の宇都宮・高崎線へのグリーン車導入も湘南新宿ラインで東海道線とつながったことが大きな理由の一つ。常磐線に関しては計画変更でそれらと同じ2両連結に「増車」となったが、普通車を減らしてまで2両挟むことが必要だったかは疑問だ。東北縦貫線の計画には常磐線も絡んでいるので、東海道線にスルー運転する可能性もないわけではないが…。


東海道線113系(東京・1987.11.8)(d)

ちょいちょい出てくる、私が初めて列車を撮った日のもの。111系グリーン車の1番がいたのを見つけ、ナンバーを入れて撮った。
サロ111は111系の1等車(当時はまだ「グリーン車」はなかった)として造られた車両で、デビュー時は普通車と同じく非冷房だった。急行形153系のサロ153に似ていて、のちそのサロ153もサロ110となって111・113系の仲間入りをした。
写真でわかるように晩年のサロ111はユニット窓が異様にボコボコしているのが特徴で、スタイルの同じサロ110とペアを組むとそのボコボコ加減がよくわかった。
113系のグリーン車は老朽化すると特急形や急行形から余剰となったサロに置き換えられていった。


東海道線113系(東京・1987.11.8)(d)

サロ110-401。サロ165-130から改造したグリーン車で、サロ110-400番台はこの1両だけ。上のサロ111-1と同じ日に遇っているのは運が良かったのか?
特徴は見ての通りの田の字のユニット窓。急行形のサロは153系のサロ152以降は眺望のいい一段下降窓が採用されたが、雨水の入り込みやすい構造のため腐食→老朽化が早いという欠点が出た。これを緩和するため、急行形電車・気動車のサロの一部はこのように2段窓に改造された。
113系は165系と同じ湘南色ながら、オレンジの天地が広い。このサロ110-401は113系塗りになってより窓が窮屈な感じに見えてしまった。


東海道線113系(東京・1987.11.8)(d)

サロ110-361。サロ110-350番台は特急形サロ481・489から改造された車両。写真の車両は違うが、キノコ形クーラーの車両もあった。交直流特急形からの改造なので、片側1ドア→2ドアへの増設や、元々あるドアはステップの廃止も施されている。また、固定窓の車両だが片側2枚ずつ、スウィング式で上部を開閉可能にした窓が存在する。写真の奥から3枚目の窓がそうだ。


東海道線113系(田町・1989)

特急形からの改造車は車体断面がまったく異なるため、編成中でも異彩を放っていた。湘南色もスカ色も幕部の緑や紺が雨樋だけとなり、どこかハゲ上がったような印象があった。横須賀・総武快速線にも特急形からの転用グリーン車はあったが、キノコ形クーラーを積んだ車両は東海道線だけに存在した(写真の車両は箱形)。


東海道線113系(東京・1989)

サロ110-501。これまた1両だけの珍車で、165系の普通車サハ165-7を改造したもの。窓割りはそのままでボックスシートを簡易リクライニングシートに交換しているので窓と座席が合っていない。
こちらも当然165系時代よりもオレンジの天地が広いため、改造前とは印象が異なる。


東海道線113系(品川・1989)

東海道線・横須賀・総武快速線のグリーン車需要増加と老朽車取り替えのため、1989(平成元)年から113系向け2階建てグリーン車サロ124が導入された。これは211系のサロ212・213と同時期の製造で、見た目は完全に211系。一部鉄道誌では2階建てグリーン車新造計画の話題に「113系向けは鋼製車になるだろう」との記事もあったが、結果はこんな違和感丸出しのものだった。



東海道線113系(品川・1989)

湘南色の鋼製車に挟まれた真新しい2階建てステンレスカーはとにかく異様だったが、グリーン車愛用者にとっては大歓迎だった。
私が伊東へ旅行に行った際に体験した話(伊東に父の勤める会社が入っている健保組合の保養所があった)。土曜に学校から帰ってきてから、家族が車で先に向かった伊東へ電車で行った。踊り子号や新幹線は使わず、東京から東海道線2階建てグリーン車→熱海からリゾート21というルートで考えていた。
ところが帰宅が遅れ、乗った電車は国府津行。2階建てグリーン車はどの列車にも入っていたわけではなかったので、国府津止まりだがそれが入っている列車を選んだわけだ。国府津からは熱海まで行ける平屋グリーン車のみの列車にのりかえ。特急形改造のサロに乗ったら、まー居心地のいいこと。シートこそ新車には叶わないが、やっぱり2階建ては詰め込まれ感があるなぁと感じた。ちなみに熱海からの伊東線も、予定したリゾート21の1本後の伊豆急100系電車だった。

車掌室付サロ124は東海道線と横須賀・総武快速線に導入され、のちトイレ付のサロ125が5両のみ東海道線に導入された。113系も1500番台や2000番台は比較的車齢が若いものの、やはり引退が同じ時期になるとは考えがたく、見た目の通り将来は211系もしくは新形式車両に転用されるだろうと私は考えていたが、結果は予想通り211系だった。


東海道線113系(熱海・1988)(d)

熱海で撮った、東京には来ない113系。これも伊東に旅行に行ったときにのりかえついでに撮ったものだが、先に書いた話の1年前のとき。東海区間運用の113系は正面にも行先表示をしてくれるので被写体としてはバリエーションが増えてよかった。時代によっては、東京から113系ばっかり乗り継いで岡山あたりまで行けたんではないだろうか?
この先頭車はタイフォンとシールドビームの位置がちょっとズレたタイプ。


東海道線113系(吉原・1991)

岳南鉄道が顔を出す吉原駅での写真。もちろん、岳南鉄道の電車を撮るために降りた。
同じ113系でも東海地区になると3連の列車が登場する。


東海道線113系(名古屋付近?・1989)

中学の修学旅行で乗った新幹線の車内から撮ったものと思われる、グロベンのクハ111。撮った場所は不明。



東海道線113系(米原・1991.9.15)

こちらは小浜へ行った際の写真。夜行急行「銀河」で米原まで出て、北陸線と小浜線を乗り継いだ。つまり、朝の風景だ。
2枚目の先頭車は丸いタイフォンカバーが特徴的。これまたシールドビームと高さが合っていないが、こちらはライトのほうが低い位置にある。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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