新AEとミラフォレスタ号を狙ったマイ撮影ポイントだが、実際訪れたのは3度目に過ぎない。
その1度目は1989(平成元)年。
それまで駅のホームでの撮影ばかりだった私は、近所で地べたを走る京成なら沿線で撮れるだろうと自転車で出向いた。
そして、例のカーブを見つけたのだ。
この当時、鋼製車はファイアーオレンジ、ステンレス車は朱帯、AE車は初代AEのみという状態。京急から来た1000形8両だけが特殊だった。この区間だと他者からの車両も都営5000形のみだ。
当時の私は赤電の形式分類もよくわかっておらず、しっかりわかっているのは片開きドアと両開きドアがあること程度だった。
そのためか、数多く撮るというより場所を変えながら少しずつ撮る、という感じだったようだ。フィルムだから今のデジカメみたいに枚数を気にせず電池切れまで撮るような芸当はできなかったし。
この日の写真は過去の記事にもパラパラと載せているので、基本的に未掲載の写真をアップ。
3500形(京成西船—海神・1989)
○マークを掲げた3500形急行。当時は何ら珍しくもなかったが。現在も残るこの顔の3500形は線内4連運用にしか入らないため、この急行板の姿は見られない。そもそも急行自体が押上線のみの存在になってしまった。
背後の高架はJR武蔵野線で、左が西船橋駅。武蔵野線をくぐって右へカーブすると京成西船だ。
3150形(京成西船—海神・1989)
「普通」板がなく真っ赤っかな顔で走っていた3150形普通列車。
3500形(京成西船—海神・1989)
亀田製菓のロゴのような特急マークも特徴的だった。京成の特急といったらこの六角形マークのイメージ。現在の文字だけの種別表示は味気ない。この位置はダイナミック・カーブの辺りだろうか。
3200形(京成西船—海神・1989)(再掲)
ともに再掲写真。AEやミラフォレスタ号を撮ったポイントとほぼ同じ場所だと思う。
3600形(海神—京成船橋・1989)
JR総武線を渡って京成船橋に近づいた位置での1枚。AEが脇役になって3600形にピントが合っている、少々残念な写真。
3200形(海神—京成船橋・1989)
築堤をカーブで下る。総武線乗り越し橋から船橋競馬場の手前までは現在高架化されているが、当時は総武線を越えるとこのように築堤となり、下り坂で地平の京成船橋駅へ下りて行った。
3200形(海神—京成船橋・1989)
3200形トップナンバー。撮っている位置は踏切。築堤を登る形で歩行者専用のものだったと思う。
3300形(海神—京成船橋・1989)(再掲)
方向幕と正面貫通扉のみ更新された3300形。側窓のユニット窓化はまだで、その下段には保護棒が残っている。のち本格的な更新を受け、この貫通扉は3050形の更新用に回された。
なお、この3316は更新後さらにクロスシート試験車、バケットシート試験車を経て現在は北総7260形となり高砂方先頭車として活躍中。
3300形(海神—京成船橋・1989)
こちらは素顔が残っている未更新3300形。3317はこの後更新で運転台を撤去して中間車化され、成田方に3342-3341を付けた6連となった。のち、現在のオール4連化で3318-3317のユニットだけ廃車になっている。ということで、写真の4連の後ろ2両が3320-3319で、28日に高砂で会った編成の上野方の2両となっている。
3500形未更新車は3300形のこの世代を踏襲した表示器のまま現在も残っているわけだ。北総9000形も同レベルだ。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
0 件のコメント:
コメントを投稿
コメントは管理人が通知メールを確認後掲載可否の判断をします。
表示まで日数がかかったり、非掲載となる場合があります。
管理人はコメントへの返信必須のスタンスではありませんが、掲載した場合は「コメントありがとうございます」の意味がこもっていますので、予めご了承下さい。