前回記事の佐久間レールパークに訪れたのは1991(平成3)年7月21日。
当日は新幹線「こだま」の2&2シートで豊橋へ出て、クモハ12の臨時列車「ゲタ電号」で中部天竜へ向かった。
(すっかり忘れていたが、調べてみると「元祖ゲタ電号」が正しいらしいので、そう書くことにする)
119系・クモハ12041「元祖ゲタ電号」(豊橋)
豊橋駅1番線飯田線ホームに入ったクモハ12。
隣は一時東海道線で「するがシャトル」として活躍後、塗色はそのままで飯田線に出戻りとなった119系。
クモハ12041「元祖ゲタ電号」(豊橋)
車内の写真は席を確保して撮ったので、ポカンと空いた席には私と友人の荷物が写っている。
座席は背ずり・座面ともに薄っぺらく、中部天竜までの長旅は不安。さらには真夏に非冷房車だ。
クモハ12041は一旦事業用車に格下げされたものを旅客用に復帰させた特殊な車両。
車歴をたどってみるとモハ30131→モハ11047→モハ10016→クモヤ22112→クモハ12041となる。
クモヤ22時代は牽引車で、1987(昭和62)年3月31日に国鉄最後の改造落成車としてクモハ12041に生まれ変わった。改造内容は自動ドア化とつり革の最設置程度だそう。
クモハ12041の車内銘板
列車は快速列車にはなっていないが、通過運転。さすがに各駅停車のダイヤにはできないんだろう。
尻が痛くなってきたころに新城(しんしろ)でしばらく停車。反対ホームからの撮影も余裕でできた。
クモハ12041「元祖ゲタ電号」(新城)
単行には木造の低い屋根が似合う。日差しが強く、パンタ側から撮ると真っ黒になってしまう。
白Hゴムがくっきり引き立つ車体は、「元祖ゲタ電」の言葉はあまり似合わないが、これはこれで味がある。全室運転台のため103系ATC車のように前後とも乗務員扉直後の窓が埋まっているのがこの車両の特徴。
三河槙原で再びひと息。
クモハ12041「元祖ゲタ電号」(三河槙原)
盆地の田んぼの中にあるような三河槙原駅は電車より気動車が似合いそうな風景。
しかし、岩肌が露出した山を背にした姿はヨーロッパの登山電車のようにも見えて面白い。やはりこの独特なHゴム顔のせいなんだろう。
クモハ12041「元祖ゲタ電号」(中部天竜)
佐久間レールパークのある中部天竜駅に到着。
スケジュールはこの列車の往復に合わせていたため当然帰りもこの列車に乗ったのだが、さすがに尻が痛くなり、途中駅で119系の定期列車に乗り換えたのだった。
この当時、JR線上で現役の旧国は鶴見線のクモハ12が2両、小野田線のクモハ42が2両、宇野線のクモハ84(車体は荷物車改造時に新造したもの)が3両と、国府津の動態保存のクモハ40の2両などがあった。
現在はこのうち鶴見線のクモハ12052と小野田線のクモハ42001が車籍を有しているようだ。国府津のクモハ40は074がめでたく鉄道博物館入り、054は青梅鉄道公園に展示されているそう。
次回は豊橋駅で撮った列車の写真を。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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