前日につづき昼過ぎに出かける。
いまのカメラでは京成押上線での撮影をしていないので、京成立石・四ツ木・八広のどこかで撮ろうかと。
チャリで東中山へ。
改札を入ったところでやってきた羽田空港行快速は初めてナマで見る「スペーシア」だった。ホームに降りたときはすでに先頭へ回って撮れるタイミングではなく、そのまま乗り込んだ。
走行中に先頭車へ移動。乗務員室後部はクロスシートが2対残り、助手側は特等パノラマ席と化している。幼い子を連れた家族が占拠していた。
この車両を撮るためだけに京成小岩で降りた。
京急600形・スペーシア広告車(京成小岩)
「スペーシア」の正体は日光・鬼怒川への観光広告がラッピングされた600形。京急の車両に東武特急スペーシアの写真が貼られていて、京成を走っているという面白い状態になっている。
反対に東武では日比谷線直通の20000系に京急広告車(くりぃむしちゅーの2人がデカデカと)を走らせている。
AE100形(京成小岩)
次の列車を待つあいだ下り列車を撮影。すでに建物の影が伸びてしまっている。
写真手前には下り線〜上り線の片渡り線があり、折り返しができるようになっている。青砥駅の高架化工事の時代などは京急車の小岩折り返し運用もあった。
列車を乗り継いで京成立石へ。どの列車を狙うということではないので、いろいろ撮ってみようという魂胆だ。
京急新1000形(京成立石)
立石は下町の地平対向ホームの駅で昭和の雰囲気があるが、実は葛飾区役所の最寄り駅だったりする。
本線にはかつて葛飾駅があったが、葛飾区の駅だと勘違いする人がちょいちょいいたらしく、京成西船と改称された。もとは千葉県東葛飾郡葛飾町だったためで、「西船」は国鉄が設けた西船橋駅の地元の通称(私もそう呼ぶ地元民)であり、それが元で住居表示にも採用された地名。
京成西船駅に改称されたのはその国鉄がJRへ変身した1987(昭和62)年4月1日だ。同日、国鉄千葉駅前駅が京成千葉駅に、京成千葉駅が千葉中央駅に改称されている。理由は言わずもがなだ。
メトロ東西線浦安駅がある浦安市は東京都江戸川区に接しているが、東西線開業当初はこちらも東葛飾郡の浦安町だった。郡部に地下鉄の駅(高架区間だけど…)ができたのは最初で最後ではないだろうか。
京急1500形(京成立石)
押上線にいると京急の駅にいるような錯覚に陥るのは今も昔も変わらないようだ。
他の駅の様子を見るため、この列車で押上まで進む。
京急1500形(押上)
おとなしかった赤い普通は押上で降りたら快特に変身していた。アングラではブイブイいわせてるようだ。
3500形更新車(押上)
ところが、後続の3500形更新車がエアポート快特としてとっとと先行していった。押上ではまだ京成が強いのだ。
くだらない話をしているあいだに、向こうのホームには青い青砥行が…。これはどこかで待ちかまえよう。
…ということで、押上駅独特の狭くて浅い通路へ降り、改札を入り直してから下り列車に乗る。
鉄橋を渡るシーンが魅力な八広では先客が2名ほど。ちょっと撮りづらそうなので敬遠して、次の四ツ木で降りた。
四ツ木では過去にちょいちょい撮っていたので、なつかし写真も絡めながら載せよう。
3700形(四ツ木)
下りホームより。以下、当日の写真はすべて下りホームでのもの。
3150形(四ツ木・1992.4)
上りホームからの写真。荒川の橋梁掛け替え前は築堤でホームの高さまで上っていた。
北総9100形(四ツ木)
うーん、とってもパワフルな構図がとれるが、上を向いている分日が当たりすぎだな…
北総7000形(四ツ木・1992.4)
四ツ木駅旧ホームは足元がスカスカな感じの構造。柵は現在も千葉線ホームでよく見られる、鉄線がデルタ上に通してあるタイプ。
北総7150形(四ツ木・1992.4)
7150形は京急1000形を譲り受けたもので、メタリックシルバーのかなり無茶な塗装でまさに異彩を放っていた。
都営5300形(四ツ木)
立派になった現在の四ツ木駅ホーム。穴あきアーチの鉄骨屋根は京成船橋駅でも採用されている。
都営5300形(四ツ木・1992.4)
都営5000形(四ツ木・1991)
90年代になっても非冷房でしれーっと走っていた都営5000形。先頭の2両は側扉の窓のRが大きい車両で、あまり見かけなかったタイプ。
京急600形「KEIKYU BLUE SKY TRAIN」(四ツ木)
意外に待たされてようやくやってきた青い京急。横浜開国博開催中は「たねまる」のステッカーが貼られていたが、元に戻ったようだ。ちなみに開国博は大スベリだったそうで、物議を醸している。
出発後の後追いを撮りたかったのだが…
北総9000形(四ツ木)
見事に被られましたとさ。青京急にコルゲートが映ってステンレスカーに見えるのが面白い。
北総9000形(四ツ木)
うーん、すばらしくこの駅に似合ってるなぁ。でもこの9000形、いつまで走ってるんだか。2編成だけの存在だ。
公団2000形(四ツ木・1992.4)
北総線の高砂開業により京急まで足を伸ばすようになった住宅・都市整備公団2000形。のち、京急2000形との重複を避けるために9000形への改番が行われた。車両の所有は都市基盤整備公団を経て千葉ニュータウン鉄道となった。
写真の2101号は現在の9001号。先の写真のやつじゃないほうの編成だ。車号だけでなく、貫通扉のロゴの有無や運行番号表示器のハコの色、方向幕が種別とのセパレートタイプになるなどの変化が起きている。
京急1000形(四ツ木・1992.2.11)
下りホーム立石寄りから上り列車先頭を狙った写真があまり出てこなかった。これは数少ない1枚。
京急1500形(四ツ木・1992.4)
1500形の黒地行先表示も今は昔。
青京急を撮ったところで四ツ木は終了。9000形の次の下り電車に乗って移動した。(つづく)
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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