現在3300形の一部をリバイバルカラーに衣替えさせている京成。
私が生まれてから見てきた分でも鋼製一般車の基本塗色はコロコロ変わっている。
青電→赤電→ファイアーオレンジ
幼少のころ(昭和50年代前半)はクリーム+赤+ステンレス縁付グレー帯の「赤電」、旧型車がくすんだ緑の濃淡の「青電」だった。
京成の電車に乗る機会はあまりなかったが、数が少ない青電を稀に目にすると「なんでこんな汚い色なんだろう?」と感じた記憶がある。津田沼から新京成の線路を通って車庫(→京成の津田沼第2工場)に入る青電を目にしたのも憶えている。
なお、赤電色の正式な名前はクリーム部分がモーンアイボリー、赤部分がファイアーオレンジ、グレー帯はミスティラベンダーだ。
都営浅草線乗り入れ用規格に則って設計された初代3000形は青電色・1372mm用の台車で登場。京成は当時1372mm軌間で、のちに都営浅草線直通のために1435mmへの全線改軌を行った。
改軌は京成と線路のつながる新京成線でデータ取りも兼ねて実施され、その後京成千葉—京成幕張間を皮切りに全線を駅で区切った10km以下ごとの11工程に分けてに進められた。
唯一駅間が境目となった京成佐倉—京成臼井間には、3日間ほど乗り継ぎ用の仮駅が設けられた。
最後は日暮里—京成上野間。トンネル内ということだからか上下線が別々の工事となり、上り線が最後に改軌された。
ちなみに新京成はもともと1067mmで、京成津田沼へ延長されると乗り入れのために1372mmに改軌されていた。
初めて新製から赤電色・1435mm台車で登場したのが初代3050形で、東方から改軌区間が伸びる都度初代3050形が新たに顔を出し、赤電色は改軌の象徴となった。初代3000形もほどなく赤電に改色された。
乗り入れ先の都営5000形もこの赤電そっくりの配色・帯になったが、全体的に京成より色あせた感じのものだった。
その後、1980(昭和55)年頃から一般車の基本色は帯の上下とも赤に移行(当ブログではそれ以前を「赤電」、この赤一色は「ファイアーオレンジ」と書き分け)。帯の色はクリームになった。
塗装の省力化も考えての1色化なんだろうが、「なんであんな極端な色にしたんだろう?」とまたまた不思議に感じた。この感想は京成沿線の住民はみんな一緒じゃないかと思う。
初代3000形(東中山・1989)
初代3000形は非冷房・未更新のまま廃車。ファイアーオレンジが最後の姿で、引退時に赤電に戻されることもなかった。
初代3050形(東中山・1989)
初代3050形の非冷房時代の姿。
この後一部を除いて冷改や更新改造も受けたが、グレーベースへの塗り替えには至らぬうちに姿を消した。
3300形(東中山・1989)
3300形はほかの赤電と違って冷房化と更新改造が別のタイミングになった。
その組み合わせによりいろんな姿を経ていて、その変化はめまぐるしい。
リバイバル青電1
2100・210形さよなら運転(京成上野・1988.3.31)(d)
青電のまま残っていた210・2000・2100形は、赤電を経ずファイアーオレンジに移行したが、クリーム帯を包むステンレス縁は付けられず、若干締まりのない感じになった。
そして、最後に残った4連が引退直前に青電色に戻された。これが京成のリバイバルカラーのはしり。
リバイバル赤電1
初代3050形改軌35周年記念列車(海神・1994.10.16)
初代3050形も基本的には初代3000形同様ファイアーオレンジが最後になったが、写真の3062Fは初のリバイバル赤電塗装で、この色のまま年を越してから廃車となった。
2007年に3200形元開運車が2度目、そして現在の3300形が3度目のリバイバル赤電となっている。
真っ赤電
3150形(町屋・1991.12.23)
3150・3200・3300形は更新改造により顔が変わり、ライトが窓下に並ぶスタイルになった。これによってクリーム帯は途切れ、赤ら顔になって印象が変わった。
地下鉄東西線利用者の私は「5000系に似た顔になったなぁ」と感じた。
3150形は更新後も種別板を挿すスタイル(貫通扉の室内側に挿して小窓から見せる)だったが、3500形未更新車が今でも使う「普通」の種別板は撮影当時存在せず、普通列車は種別板挿しの赤地が顔を出す。写真のうすい行も「うすい」とは正反対のルックスだ。ちなみに写真の編成は3194Fで、登場時は開運号用扉間クロスシート車だった。
3200形(国府台・1989)
80両が製造された3200形両開きドア車はザ・京成という存在(実際は隣の3500形が96両とさらに大所帯だが)。
貫通扉の窓と種別窓がHゴムじゃない3300形より、こっちのほうが顔が落ち着いている。
現在は押上線内のみとなった急行は、かつては本線を走っていた種別。
快速はこの急行から停車駅を整理したもので、当時の急行は現在の快速に町屋、千住大橋、堀切菖蒲園、国府台、市川真間、谷津を加えたものだった。
押上線の急行はいまも停車駅が変わっていないが、快速は京成曳舟・京成立石を通過。東武伊勢崎線のように急行より快速のほうが格上になっている。
紅電?
ひとつ忘れてはいけない塗色があった。
1000形(東中山・1992.2.10)
1000形は大手の京成が大手の京急から車両を借り入れたという超レアケースで、青電の引退直後に4+4の8連が入ってきた。
車体側面のロゴこそ変更されたものの、色は京急のまま、でも幕は京成カラーという面白い状態になった。当初正面貫通扉の種別板挿しは外側に枠をつけたものだったが、のち写真のように小窓が開けられて3150形と同じ車内側に挿すスタイルになった。
正味の青電1
千葉急行1000形(東中山・1993.3.3)
1000形は4連が先に廃車となり、残った1029Fが新たに開業した千葉急行へとリースされた。千葉急行色は現在の京急のブルースカイトレインの祖のような塗色で、1000形との交代でリースされた初代3050形も同じ配色となった。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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