雨の軽井沢駅に到着。
保存と再現保存
私の席からは保存車両が見える。窓越しに撮影。
マルチプルタイタンパー(軽井沢)
まだ停止していないのでブレてるな。
10000(軽井沢)
アプト式の機関車。
EF63 2(軽井沢)
窓に映り込んだ照明がおかしな位置に見えている。
まぁこれから反対に回ってじっくり見ますよ。
115系(軽井沢)
S27編成をあちこちから撮る。結局戸倉からここまで長らくお世話になりました。
しな鉄の115系は3連S1〜S4・S6〜S16、2連S21〜S27の22編成がある。S5は当該編成が廃車になって空き番になっている。
整理したところ、この旅でS6とS26以外の20編成を撮れたようだ(S21はほぼ顔だけだが)。
2編成併結の写真で奥の編成で番号が確認できなかったものもあるので、そこに確認できていない2本も混じってるかも?
(2018.10.13追記:S26編成は10.12にまさかのスカ色で出場試運転! おそらく私が訪れていた間は屋代で入場中だったと思われます)
しな鉄では2019年度から2両編成の新車を導入する計画があり、車両はJR東日本のE129系と同型となる。
2019年度導入の3編成は有料ライナー列車に使えるL/Cカーとし、以降はE129系と同レイアウト。最終的には9年かけて26編成52両を揃えるそうだ。結局、E129系に追われるという新潟の115系と同じ運命を辿るわけだ。
これまで何度か譲渡車による車両更新計画を目論んだしな鉄だが、いずれも計画倒れに終わっている。その中には、わが地元の東京メトロ東西線の5000系を譲り受け…なんて話もあったっけ。5000系がしな鉄色になったら…って想像してゾッとした記憶がある。
115系(軽井沢)
かつては高崎を目指し碓氷峠へ続いていた線路も、「長野新幹線」開業後は当駅で途切れてしまった。
こうして1番線の列車を前から撮れるくらい線路はすぐ終わっているのだが、振り返ると…
(軽井沢)
かつて線路がつながって延びていた先にナゾの黄色い車両! 分散式クーラーから、明らかに国鉄形車両だ。
手前には子ども向けと思われる「りすでん」と書かれたミニSL的なのものも。「でん」じゃないじゃん…。
何らかのゾーンのようだが、入っていいのかどうかわからず自重。
保存車両を見ていこう。
EF63 2(軽井沢)
EF63は信越線横川—軽井沢間の碓氷峠を越える急勾配区間の補機仕業専門の機関車。
峠を通過する列車の横川側に常に重連で連結され、同区間以外で営業運転に就くことはなかった。
115系・EF63 2(軽井沢)
115系もEF63の力を借りて碓氷峠を越えていた。
EF63 2(軽井沢)
正面左右の窓が当初から金属フレームなのも特徴。無骨さを増している。
EF63 2(軽井沢)
昭和38(1963)年製。横川—軽井沢間が廃止になる1997(平成9)年まで横軽で活躍した。
軽井沢方の正面床下は様々な通過車両に応じるためジャンパ連結器だらけの重々しい顔をしている。
10000(軽井沢)
10000形はEF63の戦場より1世代前の横軽越え区間で活躍したアプト式対応機関車。製造は1911(明治44)年という大重鎮。
アプト式は現在大井川鐵道井川線の一部に導入されている、急勾配対応で歯車を噛ます「ラックレール」を用いたものだ。
10000(軽井沢)
10000形の10000番。貨車には長らく使われた、最初の車両に0番が充てられる付番方式の初号機ということだ。
称号規定改正後、10000形機関車はEC40となり、写真の機体はEC40 1となった。
10000(軽井沢)
ED42に後を譲り、1936(昭和11)年に全車廃車となった。
その後このEC40 1は京福電鉄(福井)に移籍。片側のボンネットがデッキに改造されて使用された。
1964(昭和39)年に保存のため国鉄の手に戻り、大宮工場で原型に復元されたあと、鉄道記念物に指定された。
アプト式区間は1963年9月30日を以て廃止され、信越線はEF63の走った通常の粘着運転区間に移行した。
その後1997年に新幹線の開通により信越線の横軽区間そのものが廃止。現在もアプト式区間、粘着運転区間と、それぞれの時代の立派な橋梁が遺構として佇んでいる。
マルチプルタイタンパー(軽井沢)
2つの横軽機関車に並んで保存されているマルタイ。
右奥に見える案内板によれば、MTT08-16SLCという型式番号で1985(昭和60)年オーストリア製。
しなの鉄道が開業時にJR東日本から継承し、2003(平成15)年まで使用されたそうだ。
(軽井沢)
渡り廊下を歩いてしな鉄軽井沢駅舎に。ここで出場する。
もう、駅だか観光施設だかよくわからない。
(軽井沢)
駅前すぐのところには草軽電鉄の機関車・デキ12が鎮座。
草軽電鉄は新軽井沢—草津温泉間55.5kmを結んでいたが、国鉄吾妻線の開通や相次ぐ台風で軌道が被害を受けたことから1962(昭和37)年に廃止された。
車輪は牽いていた客車のものだそうだ。
(軽井沢)
しな鉄の軽井沢駅舎。JR軽井沢駅の旧駅舎がベースであるが、その旧駅舎はしな鉄開業時に取り壊された。
その3年後、一部資材を再利用した復元の建物「町立(旧)軽井沢駅舎記念館」として場所を移して再び姿を現した。
昨年10月、軽井沢町から建物を借用する形で実際のしな鉄の駅となった。
謎解き2つ
軽井沢駅から路線バスで移動し白糸の滝を見てきた。この旅を思いつく前にテレビで観て、ちょうど行ってみたいと思っていたのだ。
白糸の滝。敢えての引き画
草軽交通バス車内にて
「北軽井沢」へ向かうバスは、草軽交通の路線。草軽電鉄のルートをなぞっているようだった。
案内の通り、「県境」バス停の先の「北軽井沢」は群馬県内。草軽電鉄の北軽井沢駅舎は現存する。
この旅唯一の観光を終え、1時間40分後に軽井沢駅に戻った。
(軽井沢)
雨が止まない。風邪気味の私には辛い状況。
折りたたみ傘を持ってきているが、濡れたのをしまうときに面倒なので使わない(なぜ持ってきた?)。
JR東日本の駅舎を通り抜け、駅前の商業施設で時間調整がてら昼食を摂った。
食事を終えて新幹線改札から入場
まずはあの黄色い車両が何なのか、謎を解かねばならない。
クモハ169-6(軽井沢)
何やら水戸岡テイストのレタリングの黄色い急行形電車。
調べたらクモハ169-9で、しな鉄S52編成だったうちの1両。
YELLOW KIDS DENSHAで「YKD」なのだが、あくまでTRAINじゃなくDENSHAなのね。
しな鉄のりばから見えた子ども向け施設の一部で、デザイナーはやはり水戸岡鋭治氏であった。
なお新幹線軌道の壁をクリアするため、カメラは頭の上に掲げて撮っている。
(軽井沢)
乗車するのは「あさま622号」。グランクラス…の隣のグリーン車にした。
どうも私は新幹線に乗る際にグリーン車を選ぶことが続いているが、たまの利用だから選んでいるだけで正直お金はあまり持っていないほうだ。
今回は風邪気味であることと5日の旅で疲れがたまっているため、ゆったりできる座席を求めた。
E7系(軽井沢)
うしろから2両目のため、ホーム端で入線を撮ることができた。
JR東日本車のE7系F13編成。
E7系(軽井沢)
電光表示のリクライニングボタン。2枚目のデニム生地は私の太ももだ。
ところどころ車窓は見ていたが、結構自然に寝てたな。グリーン車さまさま。
E7系(東京)
東京到着後は改めてF13編成の顔を撮っただけで終了。
そうそう、もう一つの謎解きをせなばならない。
21回を数えた今回の旅の記事、タイトルの「&」については初回から一切触れてこなかったが、答えはこの画像の通り。
&ルート
旅の移動経路が「&」っぽい形になったのだ。画像は緑が新幹線、赤が在来線。
上越新幹線 長岡・燕三条経由新潟 信越線 新津・長岡経由直江津 えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン 上越妙高 北陸新幹線 長野 信越線 篠ノ井 しなの鉄道しなの鉄道線 軽井沢 北陸新幹線 高崎 上越新幹線 東京というルート。
新潟の黄色いカレーに端を発し、115系をおいかけた結果、かつての信越線をほぼなぞったルートとなった。
長らく続いた「信越“&”ルート」の記事も、この21回目でおしまいでございます。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
2018/09/30
18.9.20 信越“&”ルート・20/小諸駅・しなの鉄道線
戸倉から小諸行638Mでしなの鉄道線を進む。
列車の運用と私の運用
上田から東へは初めての乗車区間。
次駅・信濃国分寺の辺りで北陸新幹線の立派な斜張橋が千曲川を渡るのが見える。
新幹線は川の向こうでそのまま山につっこんでいく。
田中駅は「た」にアクセントを置く読み方。関西の「な」に置くのともまた違う発音だ。
115系(小諸)
小諸駅2番線に到着。乗ってきた2連のS27編成。
115系(小諸)
向かいの3番線には当駅始発・S9編成の軽井沢行762M。
638Mとは4分接続で、2連列車から3連列車へのリレー。
勝手知ったるのりつぎ客たちは我先にと空席を目指し突っ込んでいった。
昨夜の上田駅同様、ホーム階段を向いた側にのみ「軽井沢行」の行先板が掲示されている。
115系(小諸)
S9編成を小海線ホームから。
乗務員室小窓の上まで雨樋がある。雨樋はライトグレーに塗られているため、アクセントになっている。
…まぁアクセントだらけの塗装ではあるが。
小海線キハ110系(小諸)
4・5番線は中央東線の小淵沢駅と当駅を結んでいるJR小海線ののりば。
「八ヶ岳高原線」の愛称が付けられた山梨と長野の内陸路線ながら、佐久海ノ口、海尻、小海、海瀬と4つも「海」が付く駅がある。
小淵沢と小諸を結ぶ小海線…と「小」も並んでいるが、「小」で始まる駅は小海を含めた3駅のみのようだ。
115系(小諸)
762Mが出発。目指すのが軽井沢なのは同じだが、私は予め立てた計画に沿って当駅でひと休み。
小海線キハ110系(小諸)
列車は小淵沢行230D。キハ111ー112ユニットの109号。
小海線キハ110系(小諸)
5番線は頭端式となっていて、真正面ではないがこういうアングルで顔を撮れる。
115系(小諸)
さて、私が乗るのは762Mの29分後に出る764M。
編成は、えー…S27編成。いや、なんだかそのまんまいるなぁとは思っていたが。
つまるところ、小諸止まりで来て→小諸始発の762Mにリレーして→自分は残って762Mの次の列車に…という運用。
図らずも私はこの編成の動きをなぞる予定を組んだわけだ。
115系(小諸)
妙高高原方クモハ114-1514車内。パンタのないクモハ114は2連を組むために先頭車改造で生まれた車両。
115系(小諸)
トイレはしな鉄では車庫に処理施設がないためか不使用。トイレ扉には「業務室」のプレートが付いている。
ただし『ろくもん』はトイレが使われている。処理はどうしているんだろう? 長総かな?
トイレの向かいはクロスシートというのが定番であるが、この車両はトイレのドア開口部の正面にこそかからないものの、ロングシートが設置されている。
115系(小諸)
軽井沢方クモハ115-1040車内。こちらは新製時からのパンタ付クモハ。
115系(小諸)
淡緑デコラ、青モケットの原型ボックスシート、窓際のミニテーブル(急行形より小さいので「ミニ」が付く)、帽子掛け…国鉄時代そのまんまだ。
国鉄時代はさらにミニテーブル下に灰皿が付いていたため、跡が残っている。
次のしな鉄下り列車を迎えるため再度小海線ホームへ。
(小諸)
JR側の側線の終端。
レールぐんにょりタイプはよく見るが、実用性よりデザイン性を重視したような形に思えてしまう。
(小諸)
JR側から駅名標を撮る。木造上屋だからか、屋根下なのに吊り下げ型ではない。
うしろの115系はなんだか交直ローズピンクに見える。
115系(小諸)
これが計画通りに迎えた、スカ色S16の長野行2641M。助士側に「長野行」の札。走行中も出してるんだな。
復刻塗装編成の中でいちばん撮りやすいダイヤに入っていたのがこのS16。今回のしな鉄詣ででは常に追いかけた編成となった。
115系(小諸)
史上スカ色の115系は中央東線用として三鷹→豊田の所属しかなかった(他区転出後しばらくそのままの色、というのはあった)中、2014(平成26)年に、長野総合車両センターのC1編成がスカ色に復刻されたことがあった。
当時JR信越線からの直通列車として乗り入れていたこの区間も走った。
ただ先頭のタイフォン下の塗り分け線のカーブが急で、バッタモノ感が否めなかった。
115系(小諸)
国鉄・JR時代の1000番台のスカ色はわずかの存在だった(なのにKATOが古くから模型化していたのは強烈に憶えている)。スカ色と雪切室という組み合わせはレアなのだ。
115系(小諸)
塗装こそJRロゴのない国鉄…昭和スタイルだが、側面方向幕・シングルアームパンタ・車外スピーカーと、平成を生き抜いてきた姿がそこにある。
国鉄時代のスカ色115系1000番台の側面方向幕は準備工事のみであった。
115系(小諸)
何度も撮ったS16編成ともこれでお別れだ。
小海線キハ110系(小諸)
小海線の次の列車は両運転台キハ110の109+120の2両編成。12:16着の225D。
キハ110系は国鉄急行色や首都圏色も期待したが、当駅での2本の小海線はともにノーマルだった。
そういえば、キハE200形というのもあったんだな。
今回の旅は各所でこのキハ110系を撮った。115系の居る所キハ110系有り、という感じ。
115系(小諸)
764M車内へ。私は写真右側(北側)の手前から二番目のボックスに座り、12:21に出発。
しな鉄同士のリレーはなく、小海線225Dからののりかえ客を受けた程度でガラガラだ。
次の平原は車掌車を改造した待合室があるだけのしな鉄では珍しい駅で、ローカル感が増してくる。
平原までは右の車窓を見ていれば並走する小海線の東小諸・乙女両駅があったようだが、一切見ていなかった。
(御代田—平原)
平原を出てから車窓を撮る。雨が降り出しており、浅間山らしきものもよく見えない。
地名とは裏腹に、この車窓はあんまり平原(へいげん)ではないなぁ。
(御代田)
御代田駅ホームの法面(のりめん)にはナゾの壁画。
ピラミッドのようなものとジャージー牛っぽい動物。外国の姉妹都市の風景か?
信濃追分駅からは森と別荘が点在する風景が始まる。
かつて季節特急「そよかぜ」の終着駅だった中軽井沢駅はキレイに整備されていて、駅前ロータリーの落葉樹は早くも黄葉が始まっていた。
4日前、海に近くまだまだ暑い新潟市でスタートした旅だが、高原の避暑地に来た実感が沸く。(つづく)
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
列車の運用と私の運用
上田から東へは初めての乗車区間。
次駅・信濃国分寺の辺りで北陸新幹線の立派な斜張橋が千曲川を渡るのが見える。
新幹線は川の向こうでそのまま山につっこんでいく。
田中駅は「た」にアクセントを置く読み方。関西の「な」に置くのともまた違う発音だ。
115系(小諸)
小諸駅2番線に到着。乗ってきた2連のS27編成。
115系(小諸)
向かいの3番線には当駅始発・S9編成の軽井沢行762M。
638Mとは4分接続で、2連列車から3連列車へのリレー。
勝手知ったるのりつぎ客たちは我先にと空席を目指し突っ込んでいった。
昨夜の上田駅同様、ホーム階段を向いた側にのみ「軽井沢行」の行先板が掲示されている。
115系(小諸)
S9編成を小海線ホームから。
乗務員室小窓の上まで雨樋がある。雨樋はライトグレーに塗られているため、アクセントになっている。
…まぁアクセントだらけの塗装ではあるが。
小海線キハ110系(小諸)
4・5番線は中央東線の小淵沢駅と当駅を結んでいるJR小海線ののりば。
「八ヶ岳高原線」の愛称が付けられた山梨と長野の内陸路線ながら、佐久海ノ口、海尻、小海、海瀬と4つも「海」が付く駅がある。
小淵沢と小諸を結ぶ小海線…と「小」も並んでいるが、「小」で始まる駅は小海を含めた3駅のみのようだ。
115系(小諸)
762Mが出発。目指すのが軽井沢なのは同じだが、私は予め立てた計画に沿って当駅でひと休み。
小海線キハ110系(小諸)
列車は小淵沢行230D。キハ111ー112ユニットの109号。
小海線キハ110系(小諸)
5番線は頭端式となっていて、真正面ではないがこういうアングルで顔を撮れる。
115系(小諸)
さて、私が乗るのは762Mの29分後に出る764M。
編成は、えー…S27編成。いや、なんだかそのまんまいるなぁとは思っていたが。
つまるところ、小諸止まりで来て→小諸始発の762Mにリレーして→自分は残って762Mの次の列車に…という運用。
図らずも私はこの編成の動きをなぞる予定を組んだわけだ。
115系(小諸)
妙高高原方クモハ114-1514車内。パンタのないクモハ114は2連を組むために先頭車改造で生まれた車両。
115系(小諸)
トイレはしな鉄では車庫に処理施設がないためか不使用。トイレ扉には「業務室」のプレートが付いている。
ただし『ろくもん』はトイレが使われている。処理はどうしているんだろう? 長総かな?
トイレの向かいはクロスシートというのが定番であるが、この車両はトイレのドア開口部の正面にこそかからないものの、ロングシートが設置されている。
115系(小諸)
軽井沢方クモハ115-1040車内。こちらは新製時からのパンタ付クモハ。
115系(小諸)
淡緑デコラ、青モケットの原型ボックスシート、窓際のミニテーブル(急行形より小さいので「ミニ」が付く)、帽子掛け…国鉄時代そのまんまだ。
国鉄時代はさらにミニテーブル下に灰皿が付いていたため、跡が残っている。
次のしな鉄下り列車を迎えるため再度小海線ホームへ。
(小諸)
JR側の側線の終端。
レールぐんにょりタイプはよく見るが、実用性よりデザイン性を重視したような形に思えてしまう。
(小諸)
JR側から駅名標を撮る。木造上屋だからか、屋根下なのに吊り下げ型ではない。
うしろの115系はなんだか交直ローズピンクに見える。
115系(小諸)
これが計画通りに迎えた、スカ色S16の長野行2641M。助士側に「長野行」の札。走行中も出してるんだな。
復刻塗装編成の中でいちばん撮りやすいダイヤに入っていたのがこのS16。今回のしな鉄詣ででは常に追いかけた編成となった。
115系(小諸)
史上スカ色の115系は中央東線用として三鷹→豊田の所属しかなかった(他区転出後しばらくそのままの色、というのはあった)中、2014(平成26)年に、長野総合車両センターのC1編成がスカ色に復刻されたことがあった。
当時JR信越線からの直通列車として乗り入れていたこの区間も走った。
ただ先頭のタイフォン下の塗り分け線のカーブが急で、バッタモノ感が否めなかった。
115系(小諸)
国鉄・JR時代の1000番台のスカ色はわずかの存在だった(なのにKATOが古くから模型化していたのは強烈に憶えている)。スカ色と雪切室という組み合わせはレアなのだ。
115系(小諸)
塗装こそJRロゴのない国鉄…昭和スタイルだが、側面方向幕・シングルアームパンタ・車外スピーカーと、平成を生き抜いてきた姿がそこにある。
国鉄時代のスカ色115系1000番台の側面方向幕は準備工事のみであった。
115系(小諸)
何度も撮ったS16編成ともこれでお別れだ。
小海線キハ110系(小諸)
小海線の次の列車は両運転台キハ110の109+120の2両編成。12:16着の225D。
キハ110系は国鉄急行色や首都圏色も期待したが、当駅での2本の小海線はともにノーマルだった。
そういえば、キハE200形というのもあったんだな。
今回の旅は各所でこのキハ110系を撮った。115系の居る所キハ110系有り、という感じ。
115系(小諸)
764M車内へ。私は写真右側(北側)の手前から二番目のボックスに座り、12:21に出発。
しな鉄同士のリレーはなく、小海線225Dからののりかえ客を受けた程度でガラガラだ。
次の平原は車掌車を改造した待合室があるだけのしな鉄では珍しい駅で、ローカル感が増してくる。
平原までは右の車窓を見ていれば並走する小海線の東小諸・乙女両駅があったようだが、一切見ていなかった。
(御代田—平原)
平原を出てから車窓を撮る。雨が降り出しており、浅間山らしきものもよく見えない。
地名とは裏腹に、この車窓はあんまり平原(へいげん)ではないなぁ。
(御代田)
御代田駅ホームの法面(のりめん)にはナゾの壁画。
ピラミッドのようなものとジャージー牛っぽい動物。外国の姉妹都市の風景か?
信濃追分駅からは森と別荘が点在する風景が始まる。
かつて季節特急「そよかぜ」の終着駅だった中軽井沢駅はキレイに整備されていて、駅前ロータリーの落葉樹は早くも黄葉が始まっていた。
4日前、海に近くまだまだ暑い新潟市でスタートした旅だが、高原の避暑地に来た実感が沸く。(つづく)
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)