タキシードボディ
1989(平成元)年、485系のみの常磐線特急「ひたち」の中に、JRの意気込みを示すような新型車両が登場。
その名も651系。国鉄から通じて初めての百位6、そして特急形なのに十位5という独特な形式。速達形の特急「スーパーひたち」としてデビューした。
651系特急「スーパーひたち」(上野・1989.8.7)
白が支配するシックな車体。登場時は「タキシードボディ」というキャッチフレーズがついていたが、タキシードといえば黒を連想するので、私にはシックりこなかった。車体裾にこっそりオリーブ色の帯が入っているのが隠れたオシャレで、このオリーブ色は「ひたち」用485系晩年の専用塗色にも用いられた。
485系特急「ひたち」・651系特急「スーパーひたち」(上野・1989)
485系ボンネット車と並んだ651系。イメージを引き継いだのだろうか? 両者の競演は10年ちかく続いた。
651系特急「スーパーひたち」(上野・1989)
大きな正面ディスプレイは3色LEDのサイン装置。列車愛称・号数・行先などを表示する。「平(たいら)」は現在のいわき駅の改称前の駅名。
おもちゃのロボットのようにモザイクがパチパチする3色LEDのサインは、当時中3の私は「ちょっとダサいな」と感じていた。まるでタキシードボディにハマっていないのだ。
この初年度は7往復体制で、5往復が上野—平間の運転だった。
651系特急「スーパーひたち」(上野・1989)
651系は130km/h運転を行う。足回りは界磁添加励磁制御で、211系のシステムがベースになっている。交直両用車としては初の電力回生車両だ。
651系特急「スーパーひたち」(上野・1989)
651系はグリーン車1両込みの基本7連と付属4連が用意され、まるで415系の中電に合わせたような編成になった。現在までその構成は変わっていない。中間に入る先頭車も貫通型にはせず、両端と同じ形だ。
基本的に7+4の11連だが、デビュー時から定期で2〜3往復の列車で7連単独運転がある。また1990(平成2)年からは水戸→仙台の運行の1号のみ4連で運転。1号は1997(平成9)年からいわき→仙台の列車となり、現在も4連での運行が続いている。
651系特急「スーパーひたち」(馬橋・1989)
走行時、後部は赤のテールサインだけとなる。LEDのサイン装置で赤色を表示している形でなんだかヘンな感じもするが、他の在来車両達もテールサインは早くからLED化が進んでいた。
651系特急「スーパーひたち」(上野・1990)
1990年にはスーパーひたちは倍増の15.5往復となった。ひたちは22往復+下り2本から14往復へ減少となり、早くもスーパーひたち優位となった。
まだ駅のホームには黄色のダイヤル式電話があった。昭和から平成へ移り変わっている真っ最中。
651系特急「スーパーひたち」(上野・1990)
651系が仙台へ顔を出すようになったのも大増発のこの年から。前述の1号が水戸発で、あとの3往復+上り1本が上野との往復となった。写真の列車は当時の23号だと思われる。
415系・651系特急「スーパーひたち」(上野・1990)
なぜか「JR」表示の651系。本来のロゴと比べるとJが広くRが狭いように見える。
651系特急「スーパーひたち」(我孫子・1991)
651系を先頭から撮った唯一の走行写真。常磐線は短区間ながら高校通学で3年間使っていたので走行シーンはしょっちゅう目にはしていたのだが、走行写真がこれと馬橋の後追いの2枚だけだったのは意外だった。
現在内装はリニューアルされているが、外観に関してはほとんど変化がない。主要駅停車タイプは485系ひたちからE653系特急「フレッシュひたち」に変わったが、スーパーひたちは変わらず15.5往復が元気に走っている。最近ほんのちょっとだけ撮ったが、まだまだ数が足りないな。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
5 件のコメント:
初めまして。トリフジと言います。よろしくお願いします。651系も残り数か月で引退となってしまいましたね。私はよく、大阪の祖母の家に行くためによく上野まで使用していましたので、寂しくなります・・・。
ところで、質問なんですが、一部の写真に写っている尾灯が今とは少々異なっていますね。(中央部分も赤く点灯している)
これって、運転士の意思で変えらたりするんでしょうか?
トリフジさん。コメントありがとうございます。
651系はひたち系統からは引退しますが、波動用で183系の代わりに用いられるのが順当のようですね。怖いもの見たさでですが1編成くらい「こだま色」なんかに塗っちゃうのも面白いかと思います。
「尾灯」の件、私はまったく注目していませんでした。
私は知識が浅いので、現場でどうというのは知る限りではないですが、ネットで調べると「一本」の尾灯はごく初期だけのもので、何らかの理由ですぐ「2灯」に変更になったようですよ。
RF誌4月号をきのう買ったんですが、この尾灯の件のネタばらしが見事に出ていてびっくりしました。
こんばんは。トリフジです。昨日で651系の営業運転が終了しましたね。込み上げてくるものがありました。ところで、尾灯の件で返信して頂いたので、自分もRF誌を閲覧しました。交通省の支持?で今のスタイルになったとか。結局、1本線のスタイルは3か月程度で終了したそうですね。しっかりと記録に残しておいて正解でしたね^^
トリフジさん、ふたたびコメントありがとうございます。
デジカメ時代の今、私はネタ列車目当てで出かけた場合でもノーマルな列車もなるべく記録することにしています(当ブログのリアルタイムの記事でも常々この旨は書いています。宣伝をしていないので常々読まれている方は皆無だと思いますけどね)。
ある日突然変化が現れて今まで目にした物が過去の姿になることがあるんです。
私の身近でいえば、八ミツの中央・総武緩行線車両は昨年正面窓に編成番号のレタリングが加わったし、メトロの車両は同じく正面のハートMロゴが剥がされたり、東西線15000系の各停の行先表示が表示器全幅使用に変わったり…。
ネタ列車目当てで居合わせた撮影者がノーマルな列車をスルーし、ネタ列車を撮ったらとっとと撤収する姿は「勿体ないな」と感じてしまいます。
今回の件の写真は私が中学生のときのフィルムカメラでの撮影ですが、無論テールサインの変更は予測もしてませんからね。今こうして貴重な記録だったことがわかると楽しいもんです。
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