2015/02/20

夜行列車 なつかし写真・4

前回に続いて、上野発の夜行列車とプラスワン。
「北陸」と「能登」は過去記事ですでにまとまっているので、そちらを参照。


出羽

寝台特急「出羽」は上野—秋田間を上越越えで運行した列車。
1982(昭和57)〜1993(平成5)年と短い期間の運行だった。



EF64 1053+14系寝台特急「出羽」/常磐線415系(上野・1989)

雪を付けて上野に到着した「出羽」。ちょうどHMのローマ字表記部分に雪が被っている。





EF64 1053+14系寝台特急「出羽」/常磐線415系(上野・1989)

係員が来て白いライトを引っかけていった。客車のテールマークは漢字のみ。きれいな絵柄だ。


EF64 1031+14系寝台特急「出羽」/485系特急「ひたち」(上野・1990.3.31)

こちらはボンネット「ひたち」と並んだ姿。
カマの番号ははっきり見えていないが、おそらくこれで合っていると思う。今もJR東日本に所属。双頭連結器装備で廃車予定車両の配給輸送も担当し、「死神」と呼ばれるうちの1機でもある。


おが

寝台急行「おが」は上野—秋田間を結んだ臨時列車。



EF65 1026+20系寝台急行「おが」(上野・1989)

関東で20系を使用した列車としては、写真当時はこの「おが」を上野で見るのが一番手っ取り早かったか?
東京口でも今回の一連の記事に載せた臨時列車の「あさかぜ」・「玄海」などでJR化後も設定があったが、日数は少なかった。


EF65 1026+20系寝台急行「おが」(上野・1989)

上り列車では前の写真の貫通型ナハネフ23が最後尾となっていてブサイクだった。夜に下りを撮りに来ればこのなまはげマークがきちんと撮れたわけだが、列車名を「男鹿」って漢字で書くのは1963(昭和38)年まで。その頃は旧型客車であり、無論このマークは当時は使われていない。


竿灯

臨時寝台急行「竿灯」は8月の数日間に運転された臨時列車。秋田→上野の片道の設定。



20系寝台急行「竿灯」(上野・1989.8.7)

上野高架ホームに到着した20系の「竿灯」。3時間遅れだった。
他の列車と併せて撮りに行っていたであろうこの日、なんとか列車に遭遇できたものの、表示は「おが」のまんまでガッカリした。
ネットで調べてみると、秋田の竿燈祭り(“竿灯"ではない)の帰りの客を狙った設定で、臨時列車である「おが」の上り列車設定がなく尾久へ回送となる日の車両を活かしたものだそうだ。秋田発が遅く「おが」とは時刻設定が違う。


エルム

秋田行が3つ続いた後は札幌行のこの列車を。「エルム」は「北斗星」の補完列車で、定期列車はなく臨時のみ。
当時「北斗星」は3往復が運転されていたが、それに加えてのこの列車の設定。「カシオペア」こそなかったものの、今とは隔世の感がある。


EF65 1023+24系寝台特急「エルム」(上野・1989)

「エルム」はオールB寝台。「北斗星」設定当初の3・4号が同様の臨時列車設定であったが、その3・4号を5・6号と同編成にして定期化し、モノクラス臨時列車を「エルム」と名称変更したのだ。
過去には北海道内の列車に用いられた「エルム」の愛称だが、寝台特急として登場したのは写真の年である。 「北斗星」と違い、上野口はPF牽引だった。



EF81 96+24系寝台特急「エルム」(大宮・1991.6.6)

「エルム」も結局北斗星と同じく上野からEF81が牽引する形に移行した。残念ながらテールマークは記録できていない。
たまたま見た車両の方向幕は明らかにマジック描きのお手製品だった。手書きのコマ数を減らすには、区間表示は最善策。


アルプス

最後に新宿発の列車をついでに。



14系(下諏訪・1989.9.16)(再掲)

中央線の急行として名をはせた「アルプス」。キハ58系や165系の昼行黄金時代のあと、晩年は183系電車の夜行のみとなった。
寝台車を含めたり含めなかったりの14系6連の臨時便がちょこちょこと運転されており、この写真も新宿発の運行翌日に下諏訪に留置されていたのを撮ったもの。どうやら下りのみの設定だったようだ。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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