2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2012/06/02

12.5.27 旗の台新旧

8090系の青各停の最後尾に乗り大井町線を進む。
下神明の次の戸越公園は踏切の関係で20m車は3両しかホームに接続することができない。その大井町方は新しい踏切の設置工事が進んでいるのが見て取れた。その踏切が完成すると、今ある踏切がなくなってホームは5両対応となるようだ。最近は立体化で踏切は減る一方だが、新しく踏切が設けられることは滅多にない。

高架の中延、地平の荏原町と進み、また高架に上がると旗の台駅。


ニュー

列車は2面4線の中側の線に入った。この列車は急行の接続はないようだ。



8090系・8590系(旗の台)

反対側にきょう初遭遇の8590系登場。両者の顔の違いがわかる。


8090系(大岡山・1989)(再掲)

これは23年前の大井町線で撮った8090系。バリエーションの多い8000系の中で軽量ステンレス車体で量産されたグループ。正面は連続3枚窓と下ぶくれの車体断面で、登場当時は非常にのっぺりした印象があった。
現在窓は形状が改められ、8590系と同じ3枚独立のものになっている。



8590系(旗の台)

8590系は8090系の先頭車が前面貫通となったもの。東横線で走っていた頃、まだ工事も始まっていないMM21線(現・みなとみらい線)への直通対策として貫通扉を用意した先頭車が1988(昭和63)年に造られたのだ。みなとみらい線は2004(平成16)年の開業で、8590系は5050系に東横線を追い出されるまでの数年間のみみなとみらい線に顔を出した。



8500系(旗の台)

8500系の緑各停が待避線に進んできた。8500・8090・8590系はみな正式には8000系の一種である。


9000系(旗の台・1989)(再掲)

現在立派な2面4線となった旗の台大井町線ホームも、かつては木造屋根が立つ2面2線だった。雰囲気は下神明と変わらない感じ。なお、写真は9000系で唯一大井町線向けに新製された9007Fで、大井町線一筋。




6000系(旗の台)

2面4線化は当然急行運転のため。急行は当駅で停車し各停と緩急接続する。
当駅のほか等々力駅も地下化の上通過線を設ける計画だったが、「等々力渓谷の水の流れに影響する可能性が高い」と周辺住民に地下化を反対されており、駅は地平のまま。代わりに上野毛駅に上り線のみの通過線が設けられ、平日朝夕の一部のみそこを使うそうだ。



6000系(旗の台)

坂のすぐ下に見えるのはとなりの荏原町駅。車両の大形化・長編成化で駅間距離の短さが強調される例は、この都心の私鉄路線に多い。


オールド

大井町線はおしまいにして、高架下の池上線ホームに移る。21世紀の高架ホームを下りて通路を進むと、突然昭和の風景のホームに切り替わる。



7000系(旗の台)

初撮影の二代目7000系が来た。まるで小断面トンネルのリニア地下鉄の車両のよう。




1000系(旗の台)

9000系の18m車版といえる1000系。当初は日比谷線直通用に8連で造られた車両だが、のちの分は同じ18m車の走る目蒲線や池上線でも使用する目的でも製造された。



7000系(旗の台)

五反田行はまた7000系。6000系もそうだが、運行番号表示が異様に小さいのが気になる。



1000系(旗の台)

こっちに7000系が来て欲しかったが、また1000系。デジャヴが続く。

 
(旗の台)

蒲田行ホームへ移動。昭和の木造上屋を眺める。




1000系(旗の台)

反対に移動したら、7000系から1000系に替わってしまった。7000系は顔しか撮らせてくれない。

蒲田行7700系に乗って移動。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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