2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2010/10/04

小田急 なつかし写真・3

小田急なつかし写真第三段。
ちなみに、小田急のデジタルの写真は未だケイタイで撮ったものしかない。


相模大野—小田急相模原・1991

2400形も引退済みの当時、小田急の一般車は4ドア20m車で統一されていた。
厚木などで撮った日だろうか? 相模大野を出たあとの車窓にそれに当てはまらない車両を見つけた。写真では見たことがある個性派だが、まさかその姿を保っているものがあるとは思っていなかった。

そして別の日、小田急相模原駅から歩いてその現場に向かった。


1000形(相模大野—小田急相模原・1991)

途中で出会った町田止まりの4連各停。
ちなみに「小田急相模原」駅はJR「相模原」駅とはまったく別の場所にあり、それは「京成小岩」駅とJR「小岩」駅や、「東武練馬」駅と西武「練馬」駅同士よりも遠い。この三例、それぞれ中心地より「遠い」ほうが会社の名前も含めた駅名になっている。

現地に到着。場所は小田急相模大野工場の末端である。いましたいました。



2200形(相模大野—小田急相模原・1991)

正面二枚窓が特徴の2200形。とうに引退しているが、保存されていた。しかし、なぜ雨ざらしに? 後ろの車両は本線側に少し傾いている。



2200形(相模大野—小田急相模原・1991)

2200形は小田急最初の新性能車で、1954(昭和29)年の登場。私鉄各社に新性能車が出始めたころのもので、直角カルダン駆動・アルストム台車という当時最新のシステムを取り入れた車両。
登場時の塗色は当時の特急車と同じ紺地に窓周り黄色というツートン。のち初代4000形までの一般車はその塗装で登場。5000形登場以降、順次在来車もこのアイボリー地に青帯の姿に変わった。




2200形(相模大野—小田急相模原・1991)

プレスドアが時代を感じさせる。車号は2201-2202のトップナンバー。2202の先には台車がぴったりくっつけられた状態で置かれていた。
2枚窓の正面は私はネコっぽいなと思っていたが、実際にネコと呼ばれていたとか。現役晩年は利用者がまだ少ない多摩線などで余生を送っていたようだ。




2200形・8000形(相模大野—小田急相模原・1991)

後輩の8000形が隠居の脇を走り抜けていく。現在この2両は登場時の塗色に戻されてキレイに保管され、基地公開時に姿を現す。

2200形観察は以上。


5200形(相模大野—小田急相模原・1991)

なぜか代々木上原のコマを出してやって来た列車。DPEの袋を調べてみたら後追いの写真も撮っていて、「箱根湯本」表示になっていた(ボケているのでアップはしない)。




3100形・2200形(相模大野—小田急相模原・1991)

当時の特急ロマンスカーは「はこね」「あしがら」「さがみ」「えのしま」の4種。


初代3000形(相模大野—小田急相模原・1991)

「あさぎり」は特急ではなく連絡急行。乗り入れ先のJR御殿場線松田—御殿場間は急行だった。現在の20000形・JR371系の「あさぎり」は沼津まで区間が延長され、種別も特急になっている。



2600形(相模大野—小田急相模原・1991)



初代4000形(相模大野—小田急相模原・1991)



2600形(相模大野—小田急相模原・1991)

2200形留置場所近くの踏切で撮っていたのだが、相模大野駅の線路が空いていないようで列車の渋滞が発生。奥に先行の1000形が見える。両列車とも完全に停止。踏切は上がったので、これは遮断機の内側の位置から撮っている。


10000形(相模大野—小田急相模原・1991)



1000形(相模大野—小田急相模原・1991)


7000形(相模大野—小田急相模原・1991)

今回初めて登場の7000形。4編成あったのに、相性が悪くなかなか撮れなかったようだ。
7000形は1980(昭和55)年に登場。NSEを時代に合わせた形に変えたようなスタイルで、現在のものを含めてみても一番整ったロマンスカーだと思う。ただし足回りは9000形や8000形で採用したチョッパ制御ではなく抵抗制御。
NSEと同じ塗色で走っていたが、写真から4年ほど後から10000形HiSEに似た系統の塗色に変更された。現在LSEは1編成が廃車、1編成はこの塗色に戻っているが、後者は展望席のピラーが黒のまま残り雰囲気が違う。


9000形(相模大野—小田急相模原・1991)

このあと、江ノ島線下り線の脇を通りつつ相模大野駅まで歩いた。


新百合ヶ丘・1991


8000形(新百合ヶ丘・1991)

相模大野からの帰り際に撮ったと思われる。


初代4000形(新百合ヶ丘・1991)

古い車両が回されつつある多摩線は、この頃は2600形や4000形がよく走っていた。


5000形(新百合ヶ丘・1991)

種別白幕、行先黒幕の面白いパターン。記事をまとめていて気づいたのは、5000・5200形と2600・初代4000形では、正面両サイドの窓のHゴム外側のくぼみの幅が違うということ。前者が一重まぶた、後者が二重まぶたという感じ。


2600形(新百合ヶ丘・1991)

Hゴムのまわりのくぼみが目立ち、5000形より年を食ってるように見える2600形。実際年を食ってるのだが。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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