2010/08/28

10.8.24 205系パラダイス・武蔵野線

前日に引き続いて休み。午後に武蔵野線に出てみた。

最近マリ区の209系が駆り出され、東所沢を軸に武蔵野線内で試運転を行っているという。今後209系500番台が入ってくるための習熟運転ではないかと思う。
試運転の東端は市川大野まで来ることがあるそうで、その姿も撮れればいいなという感じ。来なくても、普段着の武蔵野線の姿を記録できればそれでよしなのだ。


「交換駅」

西船橋から乗り込んだのは武蔵野顔のケヨM65編成(以下「ケヨ」「編成」は略)。市川大野で降りる。




205系M65・M16(市川大野)

上下列車が同時刻に到着・出発。
M16は元ヤテ57から3両抜いただけの編成で、ドア窓は全車小窓。今回はオレンジの205系ばかりなので、編成番号をキャプションに入れることにした。

光線的にはこの西船橋方がいいが、209系が現れるかもしれないことを考えて、府中本町方へ移動。ただし試運転の有無や、きのうのケヨ51の返却同様スジはまったく知らない。



205系M27・M32(市川大野)

昼は毎列車上下同時刻で、複線区間だが「交換駅」という感じ。
M32の府中本町方モハユニットは元M61のもの。M61は5本あった武蔵野顔で唯一編成をバラされ、モハ3ユニットはVVVF化された。


EH200-11+貨車(市川大野)


EF65 1060+貨車(市川大野)

貨物列車まで上下立て続けに登場。ここと船橋法典との間ですれ違ったはずだ。


205系M4(市川大野)




205系M2(市川大野)

列車によっては1分ほどズレることも。ズレる場合でも、上下どちらが先に来るかは固まっておらず、バラバラ。
M2は8両とも元中央・総武緩行線ミツ16で、ドア窓は全車大窓で揃っている。この標準顔で全車大窓の編成は線内では少数派。



205系M17・M16(市川大野)

M17は真ん中のサハ2両のみ元埼京線用のため大窓。ほかの6両は小窓という編成。オール小窓の編成はこのタイプの編成の倍ほどある。M16は当駅に着いたときに南船橋行で去っていった編成。もう戻ってくる時間か。
それにしても、M17の先頭は標識もガーダーも被ってしまったな…。風が強くてカメラが揺れてしまい、シャッターを切るのが遅れてしまうのだ。


205系M36・M28(市川大野)

M36は元ケヨ21。京葉線に2本あった標準顔量産車編成のうちの一つだったが、モハ1ユニットを外し、2ユニットはVVVF化されて武蔵野線用に転用されたもの。もう1本のケヨ22は未だ京葉線を走っている。


205系M9(市川大野)

海浜幕張行列車。真っ昼間のパターンダイヤ(1時間で南船橋・東京・南船橋・東京・東京行のサイクル)から夕方対応へ移った瞬間だ。



205系M9・M62(市川大野)

武蔵野顔の編成数そのものは5本で変わっていない。




205系M15・M33(市川大野)

M15は山手線ヤテ29→南武線ナハ45と移ったクハ・モハに埼京線からのサハを加えたもの。武蔵野線の中で南武線を経た車両が入っているのはこの編成だけ。


205系M6(市川大野)


205系M1(市川大野)

M1もM2同様元中央・総武緩行線で、ミツ15を8連化したもの。ドア窓が全車大窓であるほか、クハの運転席上に種別表示窓があるのも特徴。標準顔で種別表示窓があるのはM1・M2・M36の3本のみ。前述のとおりM2は元ミツ16、M36は元ミツ14で、ミツ時代は編成番号も車号も3本が連番だった。


姉妹駅

市川大野に長居したものの209系なんぞ現れず、飽きたので別の駅に移った。降りたのは、過去にも撮ったことのない南流山駅。


205系M11(南流山)

市川大野と同じ、中線が1本ある武蔵野線らしい駅。中線は長大貨物列車も停まれるよう長めにとってある。
M11は中間サハ2両のみ埼京線からの大窓車。戸袋部の輝きが元山手線の小窓車6両との車齢の違いを表している。

となりの三郷の鉄橋を渡ってくる姿が撮りたくなって、この駅はとっとと撤収。



205系M6(三郷)

もう少し日が高いうちに来ればよかった。先頭はテッカテカになってしまった。



205系M15(三郷)

2本撮ったところでここからも撤収。折り返すことにした。

17時半すぎに南船橋を通るあの貨物列車でも撮ろうかと、東松戸で待機。


205系M4(東松戸)

三郷から乗ってきた列車。


205系M34(東松戸)

北総の高架を新スカイライナーが通過するのを眺めながら貨物を待ったが、やはり、日が暮れ始めてカッチリ撮れない感じになってきてしまった。


EF65 1090+貨車(東松戸)

カマは国鉄色を期待したが、貨物色だった。やっぱり、カッチリは撮れず。

つぎの下り列車で西船橋へ移動。武蔵野線は府中本町行が上りなので、京葉線直通列車は西船橋を境に上下が逆転する。



京葉線205系(西船橋)

ちょうど京葉線車両の列車が停まっていたので、9番線に回って2日連続で記録。
きのうはケヨ4だったが、きょうはケヨ3。私がこの列車を撮りに行くといつも京葉顔205系。その他入る可能性のある209系500番台やE233系の記録はまだできていない。とくに前者は早めに記録しておきたい。

今回はこれにて終了。209系に会うことはなく、205系ばかり撮った日となった。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

2010/08/26

10.8.23 京葉支線を京葉線が走る

二俣新町から千葉みなとへ移動。
いつもの二俣新町での写真がないのは、チャリ移動で汗ダクになって列車到着までクーラーの効いた待合室にいたためだ。


はずれ


E233系(千葉みなと)

もしケヨ51が誉田経由でケヨ区へ還るなら、さほど待たずに来てもいいはずだが。
まず来たのはHM付ケヨ501。私の中では最近遭遇率が高い。


E233系(千葉みなと)

海浜幕張で折り返す各駅停車があるため、千葉みなとでは列車本数が少なく待ち時間が長くなるのが難点。ケヨ501の7分後の下りはケヨ506。


E257系500番台特急「わかしお」(千葉みなと)

ひそかに期待していた上りホームの「通過」表示だったが、見慣れた特急だった。



205系(千葉みなと)

二俣新町から乗ってきたのがこのケヨ22。東京方のJRマークは完全に色がなくなってしまった。蘇我方も真っ黒になったらライフ切れになるんだろうか?


205系量産先行車(千葉みなと)

ケヨ22と同じ顔ながらJRマークは白さを保っているのが205系トップナンバー・ケヨ24。

ほぼないのがわかっている状態で敢えて待ってみたが、やっぱりケヨ51は京葉線には現れずじまい。ここで一旦撤収し、南船橋のららぽーとへ。
ちなみに帰宅後、ケヨ51は再びラシ区に入ったことをネットで確認した。


ようやく255

ららぽーとから南船橋駅に戻ったのは17時半。



201系(南船橋)


201系(二俣新町)

帰るつもりでとっとと二俣新町に移動したが、もうちょっと撮っていこうかとこの位置でカーブを来る列車を待つ。



205系(二俣新町)




205系量産先行車(二俣新町)

あら、千葉みなとと同じ編成に当たった。ケヨ24は西船橋から二俣支線を進んできた武蔵野線205系とコラボ。


EF65 1078+貨車(西船橋—南船橋)

国鉄色PFの貨物列車登場。…そうか、この17時半から18時の間に来るんだったっけ。あぁ、その後には京葉線編成の西船橋行があったじゃないか。



255系特急「わかしお」(二俣新町)

南船橋へ戻って西船橋行を撮ることに決めたあと、この列車が登場。そうそう、ここのカーブではこれまで255系を捕らえていなかったんだ。ようやく記録することができた。夕空がガラスに写りこんでいる。


幾何学的夕空



205系(南船橋)

本日の西船橋行はケヨ4。紅ショウガ色に染まって登場。2枚目では海側車窓の先のオレンジ色の空が見えている。
この列車で西船橋へ移動。




205系(西船橋)

西船橋に京葉線車両が顔を出すのは通常は平日のこの1回きり。折り返しは新習志野行。


205系(西船橋)

駅北口のいかにも総武線沿線の駅前ビルという建物をバックに京葉線205系。このビルに入っていた本屋はよく行った。


武蔵野線205系(西船橋)

東京からの客を運んできた8連に、この駅からの大量の客をプラスした武蔵野線205系が出発。発車前はドア付近の客が鴨居に手を当てて踏ん張っているという、通勤ラッシュピーク時のような風景だった。

ケヨ4で南船橋に戻ると、西の空の変化が気になった。


(南船橋)

横向きの竜巻のような雲が面白くて撮ったのだが…


(南船橋)

…たった1分後にはこんな幾何学的な…そして185系踊り子号的な模様が入った。下からの沈む夕日の光が雲にぶつかっているんだろう。


(二俣新町)

二俣新町に着いたころには、いかずち模様のようなこれまた面白いラインが雲に入った。

このあと201系の「成勝」撮影にチャレンジしたが、通過時間帯はもはや捕らえられる明るさではなくなっていた。201系は年内の撤退が予想されているため、もうこの駅では撮れないと考えていいだろうな。

…ということで、これにて撤収。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)