2010/04/12

東急 なつかし写真・4

東急のなつかし写真再開。

8000系



8000系(学芸大学・1990)

8000系は東急初の20m&界磁チョッパ車という、登場時は革新的な存在だった車両。1969(昭和44)年デビューと、世代的にはギリギリ60'sである。
写真当時は8500系と同様のシンプルな前面赤帯スタイルで統一されていたが、もともとは5200〜7200系同様ノーメイクのステンレスカー。
1974(昭和49)年登場の南海6200系は同じ東急車輌製。現在は紺とオレンジの飾りが入ったが、同じく登場時はノーメイクで、その姿は結構似ていた。


8000系(新丸子・1990)

新丸子へ滑り込む。現在は複々線化されているが、写真当時でもここの高架はそう古い感じがしなかった。


8000系(学芸大学・1991)

当時は急行と各停のシンプルな構成だった東横線。急行は9000・8590系中心。8000系が急行に入る際は種別表示器がないため「急-桜木町」と方向幕に表示していた。


8500系(表参道・1988)(f)

8000系はA-A基準を満たした車両で、路面電車の玉電の後継・地下鉄で造られる新玉川線(現在の田園都市線渋谷—二子玉川間)を走れるように準備された。
しかし新玉川線の営団半蔵門線との相互乗り入れが決定、協定により仕様変更を行ったのが8500系だ。
外観のイメージはあまり変わらないが、顔は種別表示器・運行番号表示器が追加され、運転台も高くなった。その分のアクセントか、初めて新製から赤帯が入れられた(正面のみ)。

半蔵門線開業当初、その区間は渋谷・表参道・青山一丁目とたった3駅。営団側は車両を用意せず、新玉川線から入ってくる東急8500系オンリーで営業開始し、営団8000系登場までの3年弱の間は、半蔵門線=8500系だった。
なお、写真の列車の種別「快速」は1996(平成8)年で廃止。現在の準急と同じ新玉川線内のみ通過運転をする列車だが、当時面白かったのは急行も含め長津田止まりだったこと。中央林間まで行くのはなぜか各停だけだったのだ。


8500系(半蔵門・1988)(f)

東急ケーブルテレビの広告編成。赤帯が青帯になった上、側面にも青帯が入っている。現在でも青帯編成はあるが「TV」のロゴは見られない。


8090系(大岡山・1989)

軽量ステンレス試作車・8000系デハ8400形が進化して登場したのが8090系。上部へ向けて絞られた断面の車体が特徴。また初めて側面に赤帯が入った系列だ。
顔は原形はライトケースが赤帯下、窓が3連というスタイル。写真の8089はライトが赤帯の位置に上がったグループで、最終の5次車。
「8090」系なのに8089という車号はおかしいが、これは下2ケタが99に達したためで、8099の反対側の先頭車は8080となり、写真の8089・8090のペアまで進んだ。
8500系のデハ8700・8800形も数字が足りなくなり、07xx・08xxという車号の車両が生まれた。東武8000系が8x99の次を8x100に進めたのとは違い、コンピューター管理のための4ケタ死守だそうだ。


8090系(中延・2007.6.15・mb)

わりと最近の、ケイタイで撮った写真。大井町線用5連は独特の黄色からのグラデーションの帯を配している。
3連窓はメンテナンス時に不都合があるため、8590系と同様の個別の窓に変更されている。8090なので、先の大岡山の写真の編成の反対側のようだ。


8590系(学芸大学・1990)

こちらは先頭車が貫通スタイルとなった8590系。東横線で8連で使用されていたころの写真。
現在のみなとみらい線が地下鉄で建設されるのが決まり、5M3Tだった8090系を地下線対応の貫通先頭車を含めた新製車と組み替えて6M2Tとし、その余りが5連となって大井町線に移った。
貫通扉がついた顔は8090系のイメージを保っているが、さすがに連続窓は個別の窓に変更になり、窓の間は黒く塗られた。

現在8590系は東横線から撤退し、8090系を追いかけて大井町線に移ったほか、田園都市線には10連で非東武直通車として在籍。同じ扱いの2000系とともにその運用は少なく、目にする機会は稀だ。


8590系(高島町・1994.3.24)

今はなき高島町駅に入る渋谷行8590系急行。
この写真は将来廃止されるこの駅の風景を撮っておこうという意図で、駅名標・列車・横浜ランドマークタワーを絡めたもの。
横浜と桜木町に挟まれたこの駅は高架下の通路がものすごく殺風景で、廃止も目前に迫るような勢いだったが、実際の廃止は2004(平成16)年だった。
ほんとの駅近くの人にとっては便利な存在だっただろうが、近くの市営地下鉄ブルーラインの高島町駅の現在一日平均3,000人台という乗降客数を見ると、大勢に影響はなかったのかも知れない。


8500系、8090系、8590系は大きな意味での8000系グループであり、一部では頑なに「8000系」と表記されることもある。
またその中で8590系に関しては8090系の先頭車が差し替わっただけというもので、これまた8090系の一員でありややこしいが、趣味的には「8000系、8500系、8090系、8590系」が一般的なグループ分けだ。

このうち基本の8000系はすでに東急から消滅しており、8500系、8090系にも廃車が出ている。
伊豆急では8000系(8500系1両含む)が、長野電鉄・秩父鉄道では8500系が第二の人生を送るほか、両者はインドネシアで武蔵野線103系、都営三田線6000形、東葉1000形、メトロ東西線5000系などと一緒に武装スタイルで活躍している。
また今年に入り8090系が秩父鉄道で7500系としてデビュー。8090系の初の譲渡車となった。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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