2010/03/11

北陸と能登 なつかし写真

あす12日、寝台特急「北陸」と急行「能登」が定期列車としてのラストランを迎える。
両列車そのもののこともそうだが、14系の寝台特急と489系の定期列車の最期でもあり、より注目を集めている。

いま使っているコンデジでは両列車は撮っていないが、1988(昭和63)・89(平成元)年に少しだけ撮ったものが残っていたので、それを紹介。
北陸も能登も、時刻が早い&遅いのはいまと変わらず。撮った写真はわずかしか出てこなかった。




EF64 1031+14系 寝台特急「北陸」(上野・1988)

寝台特急「北陸」上り列車が上野に到着。写真当時、上野地平ホームの柱は茶系で、渋さタップリだった。



EF64 1051+14系 寝台特急「北陸」(上野・1989)

雪をつけてやって来た北陸。EF64 1000+14系寝台車という基本構成はいまと変わらない。カマも現在も同じ面々のようだ。
この雪付きブルトレを撮るために西船橋4時28分の総武線始電で上野へ出たのを憶えている。
こちらは柱や壁の根元がグリーン系に塗られてリフレッシュされた後だが、上野らしさは失われた感じがした。



EF62 46+14系 寝台急行「能登」(上野・1988.11.2)(d)

こちらは電車化前の急行「能登」。上野方に座席車・金沢方に寝台車と、14系の2つの顔を持ち合わせた列車だった。
当時まだ信越本線経由のため、碓氷峠越え用のEF62が最期の定期運用として専任していた。



EF62+14系 寝台急行「能登」(尾久—赤羽・1989)

早朝の上野に向かう上り能登。
この当時の上野口の夜行客車列車のうち、「能登」「津軽」「八甲田」など急行はヘッドマークはなく、テールは「急行」を表示。20系の「おが」のみ、なまはげの絵入りのテールマークが使われていた。


EF62 41+14系 寝台急行「能登」(鶯谷・1989)

鶯谷での写真のはずだが、寝台車が上野方に付いている。この辺の事情がいまではよくわからない。能登だと思うんだが。
EF62は三軸台車と側面上部の小さいHゴム窓が特徴だった。この頃の田端機関区の端にはすでに廃車となったEF62が1両、みすぼらしい姿になって部品確保用に留置されていた。
写真の41号機は片側のパンタが下枠交差型に交換されている。先の尾久付近での写真の車号が確認できないものもそうだが、このスタイルは41と54のみが一時期だけなっていたようだ。もしかしたら先の写真は54号機かもしれない。

能登はこの後「白山」に使われていた489系にバトンタッチ。寝台は廃止になった。
白山色489系の写真はそこそこ数があるので、またいつかの機会に。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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