2010/03/29

東急 なつかし写真・3

東急のなつかし写真が途中で止まっていたので、つづきを。
車両の系列別に並べていこう。


初代7000系

初代7000系は営団地下鉄日比谷線乗り入れ対応の18m・3ドア車。東急車輌がアメリカのバッド社との技術提携の上作った車両だ。
それ以前に登場した5200系・6000系がスキンステンレスカーだったのに対し、オールステンレスカーとして登場した。


初代7000系(茅場町・1989)

日比谷線を走る初代7000系。(フラッシュごめんなさい)
日比谷線は営団3000系がスキンステンレス、東武2000系が鋼製と、乗り入れる3者でそれぞれ違うタイプの車体を用いた。
同じステンレスでも丸みを感じる営団3000系に対し、初代7000系はアメリカらしい武骨で質素な車体。雨樋の位置も低く、地下駅で出会うとどこか不気味な雰囲気だった。
ニューヨークの地下鉄などにも似たような車体の車両がいたようだ。





初代7000系(学芸大学・1990)

初代7000系は現在も7700系に変身して一部が生き残っているが、構造上の都合から7000系としては冷改をされないまま終始した。これは営団3000系や東武2000系も同様。



初代7000系(南千住・1991)

助士側ライトケース上に見えるフックには、東横線で優等運用に就いた際に種別板がつけられていた。急行の種別板は赤地の長方形に白抜きで「急行」の文字が入ったシンプルなものだった。


初代7000系(学芸大学・1991)

日比谷線直通運用は1991年半ばで終了したそう。この写真はそれに近い頃のもので、7035はその中でも最後の1編成として残った先頭車だそうだ。日比谷線直通撤退と同時に東横線からも撤退、以降は目蒲線で4連で活躍を続けた


1000系

1000系は日比谷線乗り入れの初代7000系の後継として登場した。9000系をベースにした車体・VVVFインバータ制御も光るが、何と言っても利用者には冷房がついたことが大いなる進歩だった。



1000系(新丸子・1990)

日比谷線直通列車の1000系は青地の「日比谷線直通」幕がアクセント。日比谷線から東横線に来る下り列車は当然その表示は出さずに走る。



1000系(南千住・1991)

現在も日比谷線乗り入れは継続しているが、その運用数は往年よりだいぶ減ったようだ。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

2010/03/22

10.3.22 ひさびさ撮影

体はひとつしかないもんで。なんだかんだで一ヶ月ぶりとなった撮影に出かけた。
この間、千葉県内で夜行列車として運転した583系や、土曜には能登を引退した489系も京葉線にやって来たのだが、どれも撮れなかった。

京葉線自身も全線開業20周年となり、3編成に記念HMが取り付けられた。これは当分の間続くそうだが、きょうはそれを撮ろうと京葉線に。
午前にいつもの地元・二俣新町駅へ向かうと、201系の海浜幕張行が出発したところだった。




205系(二俣新町)

ホームに上がると、205系京葉顔が続けてやって来た。HMはついてないな…。


E257系500番台特急「わかしお」(二俣新町)

強化型スカートへの交換が行われた編成。これまで顔を含めた黄色のラインがΩ型になっていたが、強化型は黄色のラインが車体から離れた。


255系特急「わかしお」(二俣新町)

特急が行くと特急が来るのがこの駅。255系が来るとわかっていれば蘇我方のカーブで待ちかまえたのに。東京時刻表は持ってきていない。



201系(二俣新町)

快速で201系登場。後追いは下ギリギリだけど、色が好きなのでアップ。

特急どころか、下りが来ると上りが来るのがこの駅。駅に着いたときに行った201系もそろそろ海浜幕張から戻ってくるはず…と睨み、こんどこそ蘇我方のカーブへ。



201系(二俣新町)

読んだとおり201系。
この列車を撮るとすぐ下り209系500番台の海浜幕張行各駅停車が到着。HM付が来ないのでケヨ区を覗くことにした。


209系500番台(二俣新町—南船橋)

先頭に乗ったが、誰も乗っていなかったので車内を記録。となりの車両も無人。


EF210-132+貨車(南船橋—新習志野の車内より)

EF210牽引のタンカーとすれ違い。背後は新習志野駅。

そして、新習志野を出てケヨ区を覗いたら…、HM付編成はすべて寝ていた。1本はE331系の隣に。
新潟から到着したE233系5000番台は屋根の中にいるようだ。

がっかりしながら海浜幕張着。


209系500番台(海浜幕張)

乗ってきた209系500番台。
蘇我方からは205系量産先行車の快速がやって来た。





205系量産先行車(海浜幕張)

209系で二俣新町へ戻る。
ネットで聞いてはいたが、京葉線はやはり撮影者が増えたようだ。南船橋、新習志野、海浜幕張の3駅にはすべて撮影者がいた。なにしろ通勤車両はE331系以外すべてE233系5000番台に取り替えられる予定だ。


209系500番台(二俣新町)



205系(二俣新町)

唯一の標準顔量産車編成・ケヨ22。JRマークはカッスカス。



E331系乗車目標(二俣新町)

京葉線のホームには来もしないE331系の乗車目標が記されている。無論、過去には意味を成していたのだが。
駅のLEDの列車予告は未だ95運用の列車に「14両3ドア」を表示していて、真面目にそれを見て乗車目標に立ってもドアが目の前に来ない。まぁなかなかそういうお客さんはいないか。
ダイヤ改正後も営業運転に入らないE331系、いつになったらこの乗車目標がアイデンティティを取り返すのか?



205系(二俣新町)

205系の東京行から白い長ダマを丸出しで持った男が降りてきて、なんだかキョロキョロしている。
居合わせるのがイヤだったので、思わず反対側に来た下り列車に乗って移動。



武蔵野線205系(南船橋)

南船橋で降りる。ついでで武蔵野線205系を。
京葉線上りをしばらく撮っていこうかと思ったが、蘇我方端っこにはすでに撮影者がいる。午後は家に居たいのでここで終了。
また二俣新町に舞い戻ると、長ダマ男はいなかった。ムダな移動をしてしまったな。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

2010/03/12

事業用車 なつかし写真

最近二度(2.132.20)ほど追っかけた房総向け新聞電車が、きょう使命を終えた。
HMだったり湘南色起用だったりという計らいはなく普段着のままでの終焉だったようだ。それでいいと思う。

きょうは新聞電車と、それに因んで事業用車のなつかし写真。



クモユニ143(船橋・1988)(d)(再掲)

列車の写真を撮り始めて間もないこのころ、私はこの荷電がなんで走っているのか知らなかった。
幕張のクモユニ143は転入車でスカ色と湘南色が1両ずつだったが、のち湘南色はスカ色に塗り替えられている。



クモユニ143(両国・1988)

両国の列車ホーム4番線で待機するクモユニ。ユニの名前のとおり「郵便荷物車」で、身延線用として作られたが列車の廃止により他線に移り、郵便のほうはあまり力を発揮しなかったようだ。
現在は3番線のみになっているが、この頃は5番線までホームが残っていた。


クモユニ143(西船橋・1989)

スカ色2連で西船橋を通過。方向幕の表示はまちまち。
この後クモユニは荷電から退いて信州に移ったが、きょうまで113系の一部を仕切って夕刊輸送は続けられた。







クモヤ143+クモユニ143(品川・1989.8)

ジョイトレ全盛の当時、団臨そのものの運転も多く、品川の臨時ホーム(7〜10番線)を覗くと何かしらイレギュラーな列車が停まってたような印象がある。
このときも何かいるか? と訪れたらこのコンビに遭遇。やはりクモヤとクモユニ。入場だろうか?
ロングシートはクモヤの車内。網棚や吸い殻入れなどの装備も見える。



クハ103+クモヤ143(東十条・1989)

クハ103を先頭にやって来た珍編成。クモヤ143の顔は301系を高運にしたようなスタイル。


クモル145(新橋・1989)

山手線外回り線を進むクモル。
クモル145は「配給車」で、無蓋部分を有する電車。牽引車や配給車は機関車や貨車じゃダメなんだろうか?と未だに思う。


クモル145(品川・1989.8)

独特な「91甲」を表示して東海道上り線と京浜東北南行の間で待機。103系高運車に似た顔だが、窓の下辺はこちらのほうが低い。


クモル145・クモヤ143+クモユニ143(品川・1989.8)

そして、91甲が先ほどのヤ+ユニと並んだ風景。イベントでもないのにこういう場面に出会えたのは幸運。



クモル145(品川・1989.8)

クモルを見たことがあっても、荷台の荷物を見るチャンスってあんまりないと思う。載っていたのはAU75系のクーラーキセ。



クモル145・211系(品川・1989.8)

実は、クモルとクモヤの間の9番線には赤丸を付けた211系が…。なかなか贅沢な日。




211系(品川・1989.8)

EF65PFに牽かれて甲種輸送されてきた211系の新車5連。半自動ドアのボタンがあるので高崎・東北線向け3000番台車だと思う。ライト部分にはフタがされていて、その上に赤丸が付いている。




211系(品川・1989.8)

PFの姿はガラスに映った顔しか撮れていない。開放しちゃった後なのかもしれない。




クモル145(浮間舟渡・1990)

埼京線に現れたクモル。荷台には車輪のようなものが見える。
運行番号は2ケタを1つの幕に出す不思議な表示。前後で偶奇の差が出ている。



クモヤ143+マヤ34+クモヤ143(品川・1989.8)

クモヤがマヤ34 2004を挟んだマヤ検。マヤ34は「軌道検測車」で、電化・非電化問わず全線区に入る。機関車や牽引車と組んで走る。
クモヤ143とのペアは塗り分けこそ違うが同じ配色でわりとキレイな編成になる。




EF65 1113+オハ14+マヤ34(尾久・1989)

マヤ34 2003。PFと14系とバラバラな3両編成だが、帯の上辺だけは揃っていた。
挟まれているとわからないが、こうして顔を見ていると、組む相手を選ばないために双頭連結器が付いているのがわかる。



クモヤ143+マヤ34+クモヤ143(品川・1992.12)

こちらのマヤ34 2002は更新改造を受けカラーも派手に塗り替えられた。調べると、このスタイルになったのはこの車両だけだったようだ。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)