2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2009/11/29

青砥 なつかし写真

お次は青砥でのなつかし写真。
…なのだが、AEやステンレス車の写真が全然見当たらない。不思議だ…。

都営浅草線北総千葉急の車両の写真はすでに出しているので、今回は赤電と京急のみ。


3200形(青砥・1992.3)

こちらに書いたNational/Panasonicの看板がこれ。


3300形(青砥・1992.3)

3308は3300形のうち空気バネ台車のグループ。金属バネ車が6連化されたのに対し、このグループは更新後も4連のままで使用された。写真の列車は成田方に別の空気バネ4連が付いていると思う。現在は3316-3313とともに北総7260形となって、3308は4+4の中間に押し込められている。



3300形(青砥・1992.4.2)

ごっつい色になってしまった写真。DPEの仕業だ。リバイバルカラー3300形の「赤」を見て、リアルタイムで見た人に「明るすぎる」という感想がよくあるようだが、意外と自ら所有する写真のプリント加減の影響を受けていることもあると思う。あとは塗料の質の違いなんかもあったりするかと。



3200形試験ライトグリーン(青砥・1992.4.2)


3200形試験ライトグリーン(青砥・1992.5.3)

こちらはDPEの仕業ではなく、実際にカエル色に塗られたもの。とにかく黄緑に赤と青のラインというのがまったくイケていない。試験塗色車についてはこちらを参照。


3300形(青砥・1993.4.6)

特急に入った3316F。この3316-3313は当時クロスシート試験車。グレーへの塗色変更とともにロングシート化が行われたが、これも京成では新たな試みとなるバケットシートだった。
先に載せた3308Fと組んで北総7260形となって現在も稼働中。


3100形(青砥・1993.4.6)

押上始発の金町行下り列車4連が3番線に入った。当時は浅草線直通列車に混じってよく走っていたものだが、現在このスタイルでこのホームに来る列車は平日7時13分着の1本だけになってしまった。金町始発押上行上りは早朝と深夜に1本ずつなので、下りは回送が1本あるだろう。



京急1000形(青砥・1991)

今になって気づいたことだが、1000形は集中クーラーだと黒表示幕、分散クーラーだと白表示幕みたいだ。


京急1000形(青砥・1992.4.2)

こちらは上と同じ列車に見えて、別の日のもの。車号が違う。



京急1000形(青砥・1993.4.6)

羽田開業ステッカーをつけた1000形。このステッカーは多くの車両に貼られていて、空港線に入らない800形などにも貼られていた。いや、もしかしたら全編成だったかもしれない。
当駅止まりで客扱い後、幕の回転を始めているのがわかる。「新町」で止まりこの後神奈川新町行になったかどうかは定かではないが、実際に当時はここからの神奈川新町行の列車が存在した。京急の慣例で「神奈川」が省略された行先表示は、「京成では通用しない」と思ったもんだ。現在は京成で「(東成田)芝山」というのがある。千代田はどこへ?


京急1500形(青砥・1992.2.11)

車号が光って飛んでしまっているが、1612だ。京成に来る1500形の外観は今もスカートと方向幕以外はあんまり変わってないかな? 私がコンデジで撮ったのは1700台の車両だけだ。


青砥では駅だけでなく、中川を渡る鉄橋脇でも撮影をしたことがある。どうやって現場まで行ったかとかは全く憶えてないのだが、同好の友人とふらりと行ったような記憶もある。
こちらはステンレスカー中心。なぜだろう…?


3600形・3150形(青砥—京成高砂・1993.5.1)

3100形は8連。片開きドアですでに当時オンボロ車両に思えたが、こうして8連を丸々見ると立派に見える。


3150形(青砥—京成高砂・1993.5.1)

こちらも片開き3150形8連の急行西馬込行。更新で内装のキレイさでは3050・3100形に差をつけていた。



3500形・3200形試験ライトグリーン(青砥—京成高砂・1993.5.1)

幕帯だけ青に変わった3500形と赤電とのすれ違い。カエル色との競演はどうやら高砂方から撮っているようだ。
車号はどれも読み取れないが、もしかしたらカエルとすれ違っている3500の最後尾は現在も未更新で現役の3589かもしれない。


3600形(青砥—京成高砂・1993.5.1)

こちらも幕帯だけ青帯化されている3600形。パンタ付の車両だけクーラーキセが汚れているのがよくわかる。当時の3600形はすべて6連だった。


公団2000形(青砥—京成高砂・1993.5.1)

京急に乗り入れしつつもまだ2000形だった頃の現・北総9000形。同じ「2000形」が居る京急へ入るようになったのは1991(平成3)年3月31日から。写真の翌年に9000形に改番された。ちなみに公団2000形と京急2000形は同じ冷房装置だったそう。京急のほうは3ドア化で変わってしまった模様。


北総7000形(青砥—京成高砂・1993.5.1)

こちらは青砥の引き上げ線に入った7000形。「西馬込」を表示している。当時は北総車の浅草線内運用もあり、押上行なども存在した。
4・5両目が側窓がごついユニット二段窓になっているのがわかる。京成・都営・京急乗り入れに備えて8連化するために新造された中間車(上の2000形も中央2両は追加新造車)で、開閉出来る2段窓は固定窓ばかりの在来車から改善されたものであるが、どうもその見た目が野暮ったかった。一段下降窓でもよかったと思うのだが、在来車と共通の構体でやるとなると二段窓が有利だったのかもしれない。

それにしても、7000形の「青砥」表示は写真でも見たことがないな…。もしや、結構貴重な列車だったのか?

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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