2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2009/08/13

東武 なつかし写真・2

伊勢崎線その2は東武動物公園の手前、姫宮・北春日部・春日部での写真。


姫宮 Himemiya


2000系(姫宮・1992.1)

姫宮は北春日部と東武動物公園の間にある駅で、普通列車しか停まらない。
北春日部で折り返す列車もあるので若干停車本数が少ないが、人気(ひとけ)のないホームを見るとそれでも平気そうだ。



8000系(姫宮・1992.1)


1800系(姫宮・1992.1)



300系(姫宮・1992.1)

りょうもう用1800系は200系の投入により順次急行用300・350系に改造された。写真の6両編成が300系で、350系は4両編成。
1800系からの改造時にライトが1819Fと同じ角形に取り替えられている。年季の入った車体に白は似合わない。やはりこの顔だったら赤いボディだ。
現在300系列の優等列車は急行から特急に格上げされているが、スペーシアより安い価格になっている。「ゆのさと」は当時の定期の急行列車で、現在は臨時列車となっている。


北春日部 Kita-Kasukabe


8000系(北春日部・1992.1)

北春日部は大きな車両基地を控えた駅で始発・終着列車があり、かつては日比谷線系統の北限でもあった。島式ホームの外側に通過線があり、複々線区間の雰囲気だ。
1981(昭和56)年に東武動物公園の開園に伴い杉戸駅が東武動物公園駅に改称されると、日比谷線系統も2駅延長された。
現在でも日比谷線系統の北春日部発着列車は存在するが、半蔵門線系統はない。
写真の車両は712両を造った8000系ならではの5ケタインフレナンバー車。8199の次は81100と振られていった。



200系(北春日部・1992.1)

200系はDRCの機器を流用しながら製作したりょうもう用車両。「りょうもう」は1999(平成11)年に急行から特急に昇格している。
1998(平成10)年に同スタイルで純新車の250系1本が登場した。




2000系(北春日部・1992.1)

この頃、東武には200系、2000系、20000系が在籍していたことになる。熊谷線にいた単行気動車もキハ2000だったっけ。
2000系は側面幕部に紺色の「日比谷線直通」のステッカーが2枚貼ってあって、クリーム1色ののっぺりした車体のアクセントになっていた。



10000系(北春日部・1992.1)

10000系の「たびじ」。短距離ならロングシートでもいいんだろうが…。10000系の団臨が珍しいものかどうか、私は知らない。
私も中学の修学旅行で京都—奈良間を近鉄の団体専用列車で移動したが、ロングシート車でガッカリした思い出がある。


6050系(北春日部・1992.1)

「東武日光(鬼怒川温泉)会津田島」の3層建て列車。



100系(北春日部・1992.1)

直線の通過線をゆくスペーシア。いたってシンプルな顔の車両だが、カバっぽくも見える。
それは、カバ園長で有名になった東武動物公園に関係が… ないだろうな。


8000系・350系(北春日部・1992.1)

4連の350系急行「南会津」が追い抜き。


8000系・10000系(北春日部・1992.1)

こちらは通勤形同士の追い抜き。


春日部 Kasukabe


350系(春日部・1992.1)

春日部は伊勢崎線と野田線が接続し、駅そのものの乗降客も多い主要駅。撮影当時は跨線橋などに古くささが残るなんだか東武らしい駅だったが、今も基本はあんまり変わってないかな?
写真の団体列車は両数がわからないので形式が判別ができないが、10000系に比べればこの列車は「アタリ」だ。


6050系(春日部・1990)

これまた3層建て。



2000系(春日部・1990)


8000系(春日部・1992.1)

2連×3の多層建て風6連。


野岩鉄道6050系(春日部・1992.1)

6050系は快速用6000系の更新車として登場したが、この61101Fは6050系初の純新車かつ野岩(やがん)鉄道所属車。
ナンバーが5ケタで下3ケタ100番台が野岩、200番台は会津鉄道所属車となるが、特に区別なく東武車と共通に扱われている。



200系(春日部・1992.1)

中線はひ弱なレールなのがわかる。




5700系(春日部・1990)

春日部の最後は5700系。1951(昭和26)年と1953(昭和28)年に製造された特急用車両。湘南顔のAタイプ、貫通型のBタイプ(以上つりかけ駆動)、貫通型でカルダン駆動のCタイプ各2連2本ずつ12両が登場したが、最終的には貫通・つりかけに統一され、Bタイプのスタイルになった。
2枚目の写真で見ると、奥の2連はサッシが塗られているが、手前の車両はアルミ地肌が出ている。いろいろと細かい違いがあったようだ。





5700系・20000系(春日部・1990)

晩年は写真のような団体列車運用が主で、前の記事のとおり私が日光行の6000系に乗ったとき、途中駅ですれ違った5700系の団臨を見て「あんなオンボロに乗せられて可哀想に」と思った記憶がある。その後一度は乗っておきたかった車両になったのはいうまでもない。
5700系の座席は転換クロスシートで、2人掛けの境目こそないが、6000系のボックスよりいいシートだった。ただ、日光や鬼怒川の旅館かなんかのロゴが入った白い枕カバーがとてもダサく見えた記憶がある。

写真の当時はすでに骨董的扱いになっていて、翌年に惜しまれながら引退した。隣の孫のような世代の20000系には、古き良き東武のマルーンが帯カラーとして受け継がれているのがわかる。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

0 件のコメント:

コメントを投稿

コメントは管理人が通知メールを確認後掲載可否の判断をします。
表示まで日数がかかったり、非掲載となる場合があります。
管理人はコメントへの返信必須のスタンスではありませんが、掲載した場合は「コメントありがとうございます」の意味がこもっていますので、予めご了承下さい。